の船に雇はれて、鑵炊《かまた》きをしたり、食堂の皿洗ひをしたりコックをしたりしたが、四十の歳に陸へ上つて、京都の吉田で洋食屋をはじめた。が、コックの腕に自信があり過ぎて、良い材料を使つて美味いものを安く学生さんに食べさせるといふことが商売気を離れた道楽みたいになつてしまつたから、儲けるといふことには無頓着で、結局月々損を重ねて行つたあげく、店はつぶれてしまつた。すつかり整理したあとに残つたのは、学生さんに聴かせるためにと毎月費用を惜しまず購入して来たままに溜つてゐた莫大な数の名曲レコードで、これだけは手放すのが惜しいと、大阪へ引越す時に持つて来たのが、とどのつまり今の名曲堂をはじめる動機になつたのだといふ。そして、よりによつてこんな辺鄙《へんぴ》な町で商売をはじめたのは、売れる売れぬよりも老鋪代《しにせだい》や家賃がやすかつたといふただそれだけの理由、人間も家賃の高いやすいを気にするやうではもうお了ひですなと、主人はふと自嘲的な口調になつて、わたしも洋食屋をやつたりレコード店をやつたり、随分永いこと少しも世の中の役に立たぬ無駄な苦労をして来ました、四十の歳に陸へ上つたのが間違ひだつたか
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