も知れません。あんなものを飾つて置いてもかへつて後悔の種ですよと、壁に掛つた船の浮袋を指して、しかしわたしもまだ五十三です、……まだまだと言つてゐるところへ、只今とランドセルを背負つた少年がはいつて来て、新坊、挨拶せんかと主人が言つた時には、もうこそこそと奥へ姿を消してしまつてゐた。どうも無口な奴でと、しかし主人はうれしさうに言ひ、こんど中学校を受けるのだが、父親に似ず無口だから口答試問が心配だと、急に声が低くなつた。たしかお子さんは二人だつたがと言ふと、ああ、姉の方ですか、あの頃はあなたまだ新坊ぐらゐでしたが、もうとつくに女学校を出て、今北浜の会社へ勤めてゐますと、主人の声はまた大きくなつた。
帰らうとすると、また雨であつた。なんだか雨男になつたみたいですなと私は苦笑して、返すために持つて行つた傘をその儘また借りて帰つたが、その傘を再び返しに行くことはつまりはその町を訪れることになるわけで、傘が取り持つ縁だと私はひとり笑つた。そして、敢《あへ》て因縁《いんねん》をいふならば、たまたま名曲堂が私の故郷の町にあつたといふことは、つまり私の第二の青春の町であつた京都の吉田が第一の青春の町
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