託《くつたく》のない若さがたたへられてゐて、京都で見た頃まだ女学校へはいつたばかしであつたこのひとの面影も両の頬に残つて失はれてゐず、凛《りん》とした口調の中に通《かよ》つてゐる弟への愛情にも、素直な感傷がうかがはれた。しかし愛情はむしろ五十過ぎた父親の方が強かつたのではあるまいか。主人は送つて行く汽車の中で食べさせるのだと、昔とつた庖丁によりをかけて自分で弁当を作つたといふ。
 この父親の愛情は私の胸を温めたが、それから十日ばかし経つて行くと、主人は私の顔を見るなり、新坊は駄目ですよと、思ひがけぬわが子への苦情だつた。訓《さと》されて帰つたものの、やはり家が恋しいと、三日にあげず手紙が来るらしかつた。働きに行つて家を恋しがるやうでどうするか、わたしは子供の時から四十の歳まで船に乗つてゐたが、どこの海の上でもそんな女々しい考へを起したことは一度もなかつた。馬鹿者めと、主人は私に食つて掛るやうに言ひ、この主人の鞭《むち》のはげしさは意外であつた。帰りの途は暗く、寺の前を通るとき、ふと木犀《もくせい》の香が暗がりに閃《ひらめ》いた。
 冬が来た。新坊がまたふらふらと帰つて来て、叱られて帰つ
前へ 次へ
全20ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング