ヒネだからたびたびの注射は危険だ」と医者は断るのだが、「どうせ死による体ですよって」と眼をしばたいた。弟の信一は京都|下鴨《しもがも》の質屋へ年期奉公していたが、いざという時が来るまで、戻れと言わぬことにしてあった。だから、種吉の体は幾つあっても足らぬくらいで、蝶子も諦め、結局病院代も要るままに、店を売りに出したのだ。
 こればっかりは運よく、すぐ買手がついて、二百五十円の金がはいったが、すぐ消えた。手術と決ってはいたが、手術するまえに体に力《りき》をつけておかねばならず、舶来《はくらい》の薬を毎日二本ずつ入れた。一本五円もしたので、怖《こわ》いほど病院代は嵩んだのだ。蝶子は派出婦を雇って、夜の間だけ柳吉の看病してもらい、ヤトナに出ることにした。が、焼石に水だった。手術も今日、明日に迫り、金の要ることは目に見えていた。蝶子の唄もこんどばかりは昔の面影《おもかげ》を失うた。赤電車での帰り、帯の間に手を差し込んで、思案を重ねた。おきんに借りた百円もそのままだった。
 重い足で、梅田新道の柳吉の家を訪れた。養子だけが会《お》うてくれた。たくさんとは言いませんがと畳に頭をすりつけたが、話になら
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