階の四畳半一間あるきり、おまけに頭がつかえるほど天井が低く陰気臭《いんきくさ》かったが、廓《くるわ》の往《ゆ》き帰りで人通りも多く、それに角店《かどみせ》で、店の段取から出入口の取り方など大変良かったので、値を聞くなり飛びついて手を打ったのだ。新規開店に先立ち、法善寺境内の正弁丹吾亭や道頓堀のたこ梅をはじめ、行き当りばったりに関東煮屋の暖簾《のれん》をくぐって、味加減や銚子《ちょうし》の中身の工合、商売のやり口などを調べた。関東煮屋をやると聴いて種吉は、「海老《えび》でも烏賊《いか》でも天婦羅ならわいに任しとくなはれ」と手伝いの意を申《もう》し出《い》でたが、柳吉は、「小鉢物はやりまっけど、天婦羅は出しまへん」と体裁よく断った。種吉は残念だった。お辰は、それみたことかと種吉を嘲《あざけ》った。「私《わて》らに手伝《てつど》うてもろたら損や思たはるのや。誰が鐚《びた》一文でも無心するもんか」
お互いの名を一字ずつとって「蝶柳」と屋号をつけ、いよいよ開店することになった。まだ暑さが去っていなかったこととて思いきって生ビールの樽《たる》を仕込んでいた故、はよ売りきってしまわねば気が抜けてわ
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