ませると、しかし十円も残らなかった。
 二階借りするにも前払いでは困ると、いろいろ探しているうちに、おきんの所へ出はいりして顔見知りの呉服屋の担《かつ》ぎ屋《や》が「家《うち》の二階空いてまんね、蝶子さんのことでっさかい部屋代はいつでもよろしおま」と言うたのをこれ倖《さいわ》いに、飛田《とびた》大門前通りの路地裏にあるそこの二階を借りることになった。柳吉は相変らず浄瑠璃の稽古に出掛けたり、近所にある赤暖簾《あかのれん》の五銭|喫茶店《きっさてん》で何時間も時間をつぶしたりして他愛なかった。蝶子は口が掛れば雨の日でも雪の日でも働かいでおくものかと出掛けた。もうヤトナ達の中でも古顔になった。組合でも出来るなら、さしずめ幹事というところで、年上の朋輩からも蝶子|姐《ねえ》さんと言われたが、まさか得意になってはいられなかった。衣裳の裾なども恥かしいほど擦《す》り切れて、咽喉《のど》から手の出るほど新しいのが欲しかった。おまけに階下《した》が呉服の担ぎ屋とあってみれば、たとえ銘仙《めいせん》の一枚でも買ってやらねば義理が悪いのだが、我慢してひたすら貯金に努めた。もう一度、一軒店の商売をしなければ
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