で薄気味《うすきみ》悪《わる》いほどサーヴィスをよくしたが、人気《じんき》が悪いのか新店のためか、その日は十五人客が来ただけで、それもほとんど替刃ばかり、売り上げは〆《し》めて二円にも足らなかった。
 客足がさっぱりつかず、ジレットの一つも出るのは良い方で、大抵は耳かきか替刃ばかりの浅ましい売上げの日が何日も続いた。話の種も尽《つ》きて、退屈したお互いに顔を情けなく見かわしながら店番していると、いっそ恥かしい想いがした。退屈しのぎに、昼の間の一時間か二時間浄瑠璃を稽古《けいこ》しに行きたいと柳吉は言い出したが、とめる気も起らなかった。これまでぶらぶらしている時にはいつでも行けたのに、さすがに憚《はばか》って、商売をするようになってから稽古したいという。その気持を、ひとは知らず蝶子は哀れに思った。柳吉は近くの下寺町の竹本|組昇《そしょう》に月謝五円で弟子入《でしい》りし二ツ井戸の天牛書店で稽古本の古いのを漁《あさ》って、毎日ぶらりと出掛けた。商売に身をいれるといっても、客が来《こ》なければ仕様がないといった顔で、店番をするときも稽古本をひらいて、ぼそぼそうなる、その声がいかにも情けなく、
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