についた時は、もう朝であった。筍を渡すと、三十円呉れた。腹巻の底へしっかりいれて、ちょいちょい押えてみんことにゃと金造にいわれたことを思い出し、そのようにした。ふと、これだけの金があれば大阪へ行ってまむし[#「まむし」に傍点]や鮒の刺身がくえると思うと、足が震えた。空の車をガラガラひいて岸和田の駅まで来ると、電車の音がした。車を駅前の電柱にしばりつけて、大阪までの切符を買い、プラットフォームに出た。電車が来るまで少し間があった。そわそわして決心が鈍って来るようで、何度も便所へ行きたくなった。便所から出て来ると電車が来たのであわてて乗った。動き出してうとうと眠った。車掌に揺り動かされて眼を覚すと、難波ア、難波終点でございまアーす。早う着いたなアと嬉しい気持で構内をちょこちょこ走り、日射しの明るい南海道を真っ直ぐ出雲屋の表へかけつけると、まだ店が開いていなかった。千日前は朝で、活動小屋の石だたみがまだ濡れていた。きょろきょろしながら活動写真の絵看板を見上げて歩いた。首筋が痛くなった。道頓堀の方へ渡るゴーストップで交通巡査にきびしい注意をうけた。道頓堀から戎橋を渡り心斎橋筋を歩いた。一軒一軒飾窓を覗きまわったので疲れ、ひきかえして戎橋の上で佇んでいると、橋の下を水上警察のモーターボートが走って行った。後から下肥を積んだ船が通った。ふと六貫村のことが連想され、金造の声がきこえた。わりゃ、伊勢乞食やぞ、杭(食い)にかかったらなんぼでも離れくさらん。にわかに空腹を感じて、出雲屋へ行こうと歩き出したが方角が分らなかった。人に訊くにも誰に訊いて良いか見当つかず、なんとなく心細い気持になった。中座の前で浮かぬ顔をして絵看板を見上げていると、活動の半額券を買わんかと男が寄って来た。半額券を買うとは何の事か訳が知れなかったから、答えるすべもなかったが、これ倖いと、ちょっくら物を訊ねますが、出雲屋は? この向いやと男は怒った様な調子でいった。振り向くと、なるほど看板が掛っている。が、そこは順平に連れてもらった店と違うようだ。出雲屋が何軒もあるとは思えなかったから、狐につままれたと思った。しかし、鰻を焼く匂いにはげしく誘われて、ままよとはいり、餓鬼のように食べた。勘定を払って出ると、まだ二十七円と少しあった。中座の隣の蓄音機屋の隣に食物屋があった。蓄音機屋と食物屋の間に、狭くるしい路地があった。そこを抜けるとお寺の境内のようであった。左へ出ると、楽天地が見えた。あそこが千日前だと分った嬉しさで早足に歩いた。楽天地の向いの活動小屋で喧しくベルが鳴っていたので、何かあわてて切符を買った。まだ出し物が始っていなかったから、拍子抜けがし、緞帳を穴の明くほど見つめていた。客の数も増え、いよいよ始った。ラムネをのみ、フライビンズをかじり、写真が佳境にはいって来ると、よう! よう! ええぞとわめいてあたりの人に叱られた。美しい女が猿ぐつわをはめられる場面が出ると、だしぬけに、女への慾望が起った。小屋を出しなに勘定してみたら、まだ二十六円八十銭あった。大阪には遊廓があるといつか聴いたことを想出した。そこでは女が親切にしてくれるということだ。エヘラエヘラ笑いながら、姫買いをする所はどこかと道通る人に訊ねると、早熟た小せがれやナ、年なんぼやねンと相手にされなかった。二十三だというと、相手は本当に出来ないといった顔だったが、それでも、自動車に乗れと親切にいってくれた。生れてはじめての自動車で飛田遊廓の大門前まで行った。二十六円十六銭、廓の中をうろうろしていると、掴えられ、するすると引き上げられた。ぼうっとしている内に十円とられて、十六円十六銭。妓の部屋で、盆踊りの歌をうたうと、良え声やワ、もう一ぺん歌いなはれナ。賞められて一層声を張りあげると、あちこちの部屋で、客や妓が笑った。ねえ、ちょっと、わてお寿司食べたいワ、何ぞ食べへん? 食べましょうよ。擦り寄られ、よっしゃ。二人前とり寄せて、十一円十六銭。食べている内に、お時間でっせといいに来た。帰ったら嫌やし、もっと居てえナ。わざと鼻声で、いわれると、よう起きなかった。生れてはじめて親切にされるという喜びに骨までうずいた。又、線香つけて、最後の十円札の姿も消えた。妓はしかしいぎたなく眠るのだった。おいと声を掛けて起す元気もない。ふと金造の顔が浮び、おびえた。帰ることになり、階段を降りて来ると、大きな鏡に、妓と並んだ姿がうつった。ひねしなびて四尺七寸の小さな体が、一層縮る想いがした。送り出されてもう外は夜であった。廓の中が真昼のように明るく、柳が風に揺れていた。大門通を、ひょこひょこ歩いた。五十銭で書生下駄を買った。鼻緒がきつくて足が痛んだが、それでもカラカラと音は良かった。一遍被ってみたいと思っていた鳥打帽子を買った。一円六十銭。おでこが隠れて、新しい布の匂がプンプンした。胸すかしを飲んだ。三杯まで飲んだが、あと、咽喉へ通らなかった。一円十銭。うどんやへはいり、狐うどんとあんかけうどんをとった。どちらも半分たべ残した。九十二銭。新世界を歩いていたが、絵看板を見たいとも、はいってみたいとも思わなかった。薬屋で猫イラズを買い、天王寺公園にはいり、ガス灯の下のベンチに腰かけていた。十銭白銅四枚と一銭銅貨二枚握った手が、びっしょり汗をかいていた。順平に一眼会いたいと思った。が、三十円使いこんだ顔が何で会わさりょうかと思った。岸和田の駅で置き捨てた車はどうなっているか。提灯に火をいれねばなるまい。金造は怖くないと思った。ガス燈の光が冴えて夜が更けた。動物園の虎の吼声が聞えた。叢の中にはいり、猫イラズをのんだ。空が眼の前に覆いかぶさって来て、口から白い煙を吹き出し、そして永い間のた打ち廻っていた。

       三

 夜が明けて、文吉は天王寺市民病院へ担ぎ込まれた。雑魚場から帰ったままの恰好で順平がかけつけた時は、むろん遅かった。かすかに煙を吹き出していたようだったと看護婦からきいて、順平は声をあげて泣いた。遺書めいたものもなかったが、腹巻の中にいつぞや出した古手紙が皺くちゃになってはいっていたため、順平に知らせがあり、せめて死に顔でもみることが出来たとは、やはり兄弟のえにしだといわれて、順平は、どんな事情か判らぬが、よくよく思いつめる前に一度訪ねてくれるなり、手紙くれるなりしてくれれば、何とか救う道もあったものをと何度も何度も繰り返して愚痴った。病院の食堂で玉子丼を顔を突っこむようにして食べていると涙が落ちて、なにがなし金造への怒りが胸をしめつけて来た。
 ところが、村での葬式を済ませた時、ふと気が付いてみると、やはり金造には恨みがましい言葉は一言もいわなかった様だった。くどく持ち出された三十円の金を、弁償いたしますと大人しく出て、すごすごと大阪へ戻って来ると、丁度その日は婚礼料理の註文があって目出度い目出度いと立ち騒いでいる家へ料理を運び、更《おそ》くまで居残ってそこの台所で吸物の味加減をなおしたり酒のかんの手伝いをしたりした揚句、祝儀袋を貰って外へ出ると皎々たる月夜だった。下寺町から生国魂神社への坂道は人通りもなく、登って行く高下駄の音、犬の遠吠え……そんな夜更けの町の寂しさに、ふと郷愁を感じ、兄よ、わりゃ死んだナ。振舞酒の酔いも手伝って、いきなり引き返えし、坂道を降りて道頓堀へ出ると、足は芝居裏の遊廓へ向いた。殆んど表戸を閉めている中に一軒だけ、遣手婆が軒先で居眠りしている家を見つけ、あがった。客商売に似合わぬ汚い部屋で、ぽつねんと待っていると、おおけにと妓がはいって来た。醜い女だが、白粉と髪油の匂いがプンプンしていた。順平はこの女が自由になるとはまるで夢のように思われた。
 しかし、本能的に女に拒まれるという怖れから、肩をさわるのも躊躇され、まごまごしている内に、妓は眠って了った。いびきを聴いていると、美津子の傍でむなしく情けない想いをした日々のことが連想された。
 朝、丸亀へ帰る途々、叔父叔母に叱られるという気持で心が暗かったが、ふと丸亀から逐電しようと、心を決めると、ほっとした。家へ帰り、どないしたんや、家あけてという声をきき流して、あちこちで貰う祝儀をひそかに貯めて二百円ほどになっていた金を取出し、着物を着変えた。飛び出すんやぞ、二度と帰らんのやぞという顔で叔父叔母や美津子をにらみつけたが、察してくれなかったようだ。それと気付いて引止めてくれるなり、優しい言葉をかけてくれるなりしてくれたら思い止まりたかったが、肚の中を読んでくれないから随分張合いがなく、暫くぐずついていたが、結局、着物を着変えたからには飛び出すより仕方ない、そんな気持でしょんぼり家を出た。
 あとで、叔母は、悪い奴にそそのかされて家出しよりましてんと云いふらした。家出という言葉が好きであった。叔父は身代譲ったろうと思《おも》てたのに、阿呆んだらめがと、これは本音らしかった。美津子は、当分外出もはばかられるようで、何かいやな気がして、ふくれていた。また、順平に飛び出されてみると体裁もわるいが、しかし、ほんの少し淋しい気も感じられた。しつこく迫っていた順平に、いつかは許してもよいという気があるいは心の底にあったのではないかと思われて、しかしこれは余りに滑稽な空想だと直ぐ打ち消した。
 順平は千日前金刀比羅裏の安宿に泊った。どういう気持で丸亀を飛び出したのかと自分でも納得出来ず、所詮は狂言めいたものかも知れなかった。紺絣の着物を買い、良家のぼんぼんみたいにぶらぶら何の当てもなく遊びまわった。昼は千日前や道頓堀の活動小屋へ行った。夜は宿の近くの喫茶バー「リリアン」で遊んだ。「リリアン」で五円、十円とみるみる金の消えて行くことに身を切られるような想いをしながら、それでも、高峰さん高峰さんと姓をよばれるのが嬉しくて、女給たちのたかるままになっていた。
 ある夜、わざと澄まし雑煮を註文し、一口のんでみて、こんな下手な味つけで食べられるかいや、吸物というもんはナ、出し昆布の揚げ加減で味いうものが決まるんやぜと浅はかな智慧を振りまいていると、髪の毛の長い男がいきなり傍へ寄って来て、あんさんとは今日こんお初にござんす、野郎若輩ながら軒下三寸を借り受けましての仁儀失礼さんにござんすと場違いの仁儀でわざとらしいはったりを掛けて来た。順平が真蒼になってふるえていると女給が、いきなり、高峰さん煙草買いましょう。そう云って順平の雑魚場行きのでかい財布をとり出して、あけた。男は覗いてみて、にわかに打って変って、えらい大きな財布でんナと顔中皺だらけに笑い出し、まるで酔っぱらったようにぐにゃぐにゃした。男はオイチョカブの北田といい、千日前界隈で顔の売れたでん公であった。
 その夜オイチョカブの北田にそそのかされて、新世界のある家の二階で四五人のでん公と博打をした。インケツ、ニゾ、サンタ、シスン、ゴケ、ロッポー、ナキネ、オイチョ、カブ、ニゲなどと読み方も教わり、気の無い張り方をすると、「質屋《ヒチヤ》の外に荷《ニ》が降り」とカブが出来、金になった。生まれてはじめてほのぼのとした勝利感を覚え、何かしら自信に胸の血が温った。が、続けて張っている内に結局はあり金を全部とられて了い、むろんインチキだった。けれど、そうと知っても北田を恨む気は起らなかった。あくる日、北田は※[#「※」は「囗」の二画目の中に「又」を入れる、114上−6]《かねまた》でシチューと半しまを食わせてくれた。おおけに御馳走《ごっそ》さんと頭を下げる順平を北田はさすがに哀れに思ったが、どや、一丁女を世話したろか、といった。「リリアン」の小鈴に肩入れしてけっかんのやろと図星を指されてぽうっと赧くなり一途に北田が頼もしかったが、肩入れはしてるんやけどナ、わいは女にもてへんのさかい、兄貴、お前わいの代りに小鈴をものにしてくれよ。そういう態度はいつか木下にいった時と同じだったが、北田は既に小鈴をものにしているだけにかえって気味が悪かった。
 オイチョカブの北田は金が無くなると本職にかえった。夜更けの盛り場を選んで彼の売る
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