いう希望に燃えて、美津子を見る眼が貪慾な光を放ち、ぼんぼんみたいに甘えてやろ、大根を切る時庖丁振り舞して立ち廻りの真似もしてみたろ、お菜の苦情云うてみたら、叔父叔母はどんな顔するやろと思うのだったが、順平は実行しかねた。その頃、もう人に感付かれた筈だが、矢張り誰にも知られたくない一つの秘密、脱腸がそれと分る位醜くたれ下っていることに片輪者のような負け目を感じ、これがあるために自分の一生は駄目だと何か諦めていた。想い出すたびにぎゃあーと腹の底から唸り声が出た。ぽかぽかぺんぺんうらうらうらと変なひとり言も呟いた。
ある日、美津子が行水をした。白い身体がすうっと立ち上った。あっちイ行きイ。順平は身の置き場もないような恥しい気持になった。夜想い出すと、急にぽかぽかぺんぺんうらうらうら。念仏のように唱えた。美津子にはっきり嫌われたと蒼い顔で唱えた。近所のカフェから流行歌が聞えて来た。何がなし郷愁をそそられ、その文吉のことなども想い出し、泣いたろ、そう思うとするすると涙がこぼれてきて存分に泣けた。二度と見ない決心だったが、翌くる日、美津子が行水をしているとやはりそわそわした。そんな順平を仕込んだのは板場の木下であった。
板場の木下は、東京で牛乳配達、新聞配達、料理屋の帳場などしながら苦学していたが、大震災に逢い、大阪へ逃げて来たと云った。汚い身装りで雇われて来た日、一緒に風呂へ行ったが、木下が小さい巾着を覗いて一枚一枚小銭を探し出すのを見て同情し、震災の時火の手を逃れて隅田川に飛び込んで泳いだ、袴をはいた女学生も並んで泳いでいたが、身につけているものが邪魔になって到頭溺死しちゃったという木下の話を聞くと、順平は訳もなく惹き付けられ、好きになった。大阪も随分揺れたことだろうなと、長い髪の毛にシャボンをつけながら木下が問うと、えらい揺れたぜと順平はいい、細ごま説明したが、その日揺れ出した途端、未だ学校から退けて来ない美津子のことに気がつくと、悲壮な表情を装いながら学校へ駆けつけ、地震怖かったやろ、そういって美津子の手を握ってたら、何んや、阿呆らしい、地震みたいなもん、ちっとも怖いことあーらへんわ、そして握られた手はそのままだったが。奇体《けったい》な順ちゃん、すけべいと云われて、随分情けなかったなどとは、さすがに云わなかった。
女学生の袴が水の上にぽっかりひらいて……という木下の話は順平の大人を眼覚ました。弁護士の試験をうけるために早稲田の講義録をとっているという木下は、道で年頃の女に会うときまって尻振りダンスをやった。順平も尻を振って見せ、げらげら笑い、そしてあたりを見廻すのだった。
ある時、気がついてみると、ふらふらと女中部屋の前にたたずんでいた。あくる日、千日前で「海女の実演」という見世物小屋にはいり、海女の白い足や晒を巻いた胸のふくらみをじっと見つめていた。そして又、ちがった日には「ろくろ首」の疲れたような女の顔にうっとりとなっていた。十六になっていた。二皮目だから今に女泣かせの良い男になると木下に無責任な賞め方をされて、もう女学生になっていた美津子の鏡台からレートクリームを盗み出し顔や手につけた。匂いに感づかれぬように、人の傍によらぬことにしていたが、知れて、美津子の嘲笑いを買ったと思った。二皮目だと己惚れて鏡を覗くと、兄の文吉に似ていた。眼が斜めに下っているところ、おでこで鼻の低いところ、顔幅が広くて顎のすぼんだところ、そっくりであった。ひとの顔を注意してみると、皆自分よりましな顔をしていた。硫黄の匂いのする美顔水をつけて化粧してみても追っ付かないと諦めて、やがて十九になった。数多くある負目の上に容貌のことで、いよいよ美津子に嫌われるという想いが強くなった。
ただ一途にこれのみと頼りにしている板場の腕が、この調子で行けば結構丸亀の料理場を支えて行けるほどになったのを、叔父叔母は喜び、当人もその気でひたすらへり下って身をいれて板場をやっている忠実めいた態度が、しかし美津子にはエスプリがないと思われて嫌に思っていたのだった。容貌は第二で、その頃学校の往きかえりに何となく物をいうようになった関西大学専門部の某生徒など、随分妙な顔をしていた。しかし、此の生徒はエスプリというような言葉を心得ていて、美津子は得るところ少くなかった。√3[#「3」は「√」の記号の中に入っている]《ルートサン》と封をした手紙をやりとりし、美津子の胸のふくらみが急に目立って来たと順平にも判った。うかうかと夜歩きを美津子はして、某生徒に胸を押えられ、ガタガタ醜悪に震えた。生国魂神社境内の夜の空気にカチカチと歯の音が冴えるのであった。やがて、思いが余って、捨てられたらいややしと美津子は乾燥した声でいい、捨てられた。
日がたち、妊娠していると両親にも判った。女学校の卒業式をもう済ませていることで、両親は赤新聞の種にならないで良かったと安堵した。ある夜更け美津子の寝室の前に佇んでいたといわれて、嫌疑は順平にかかった。順平はなぜか否定する気にもならなかったが、しかし、美津子を見る目が恨みを呑んだ。雨の夜、ふらふらと美津子の寝顔に近づいたが、やはり無暴だった。美津子の眼は白く冴えて、怖ろしく、順平の狂暴な血は一度にひいた。
丸亀夫婦は美津子から相手は順平でないと告げられると、あわてて、何か改って順平を長火鉢の前へ呼び寄せ、不束な娘やけど、貰ってくれといった。順平ははっと両手をついてありがとうございますと、かねてこの事あるを予期していた如き挨拶であった。見れば、畳の上にハラハラと涙をこぼし、眼をこすりもしないで芝居がかった容子であるから、丸亀夫婦も舞台に立ったような思いいれを暫時《ざんじ》した。一杯行こうと叔父が差し出す盃を順平はかしこまって戴き、呑み乾して返えす。それだけの動作の間にも、しーんとした空気が漲っていた。その空気が破れたかと思うと、順平は、阿呆の自分にもこれだけは云わしてほしい言葉、けれど美津子さんは御承諾のことでっかと、三十男のような問い方をした。尼になる気持で……などと云うたら口を縫いこむぞといいきかされていた美津子は、いけしゃあしゃあと、わてとあんたは元から許嫁やないのといった。二親はさすがに顔をしかめたが、順平はだらしなくニコニコして胸を張り、想いの適った嬉しさがありありと見えて、いやらしい程機嫌を誰彼にもとった。阿呆程強いもんはないと叔母はさすがに烱眼だった。
婚礼の日が急がれて、美津子の腹が目立たぬ内にと急がれたのだ。暦を調べると、良い日は皆目なかったので、迷った挙句、仏滅の十五日を月の中の日で仲が良いとてそれに決められた。婚礼の日、六貫村の文吉は朝早くから金造の家を出て、柿の枝を肩にかついで二里の道歩いて、岸和田から南海電車に乗った。難波の終点についたのは正午頃だったが、大阪の町ははじめてのこと故、小一里もない生国魂神社前の丸亀の料理場に姿を現わしたのは、もう黄昏どきであった。
その日の婚礼料理に使うにらみ鯛を焼いていた順平が振り向くと、文吉がエヘラエヘラ笑って突っ立っていた。十年振りの兄だが少しも変っていないので直ぐ分って、兄よ、わりゃ来てくれたんかと順平は団扇をもったまま傍へ寄った。白い料理衣をきている順平の姿が文吉には大変立派に見え、背ものびたと思えたので、そのことを云った。順平は料理場用の高下駄をはいているので高く見えたのだった。二十二歳の文吉は四尺七寸しかなかった。順平は九寸位あった。順平は柿をむいて見せた。皮がくるくると離れ、漆喰に届いたので文吉は感心し、賞めた。
その夜、婚礼の席がおひらきになるころ、文吉は腹が痛み出した。膳のものを残らず食い、酒ものんだからだった。かねがね蛔虫を湧かしていたのである。便所に立とうとすると、借着の紋附の裾が長すぎて、足にからまった。倒れて、そのまま、痛い痛いとのた打ちまわった。別室に運ばれ、医者を迎えた。腸から絞り出して夜着を汚した臭気の中で、順平は看護した。やっと、落ち付いて文吉が寝いると、順平は寝室へ行った。夜は更けていて、もう美津子は寝こんでいた。だらしなく手を投げ出していた。ふと気が付いてみると、阿呆んだら。順平は突きとばされていた。
あくる朝、文吉の腹痛はけろりと癒った。早う帰らんと金造に叱られるといったので、順平は難波まで送って行った。源生寺《げんしょうじ》坂を降りて黒門市場を抜け、千日前へ行き出雲屋へはいった。また腹痛になるとことだと思ったが、やはり田舎で大根や葉っぱばかり食べている文吉にうまいものをたべさせてやりたいと順平は思ったのだ。二円ほど小遣いをもっていたので、まむしや鮒の刺身を註文した。一つには、出雲屋の料理はまむし[#「まむし」に傍点]と鮒の刺身と、きも吸のほかは不味いが、さすが名代だけあって、このまむし[#「まむし」に傍点]のタレ[#「タレ」に傍点]や鮒の刺身のすみそ[#「すみそ」に傍点]だけは他処《よそ》の店では真似が出来ぬなどと、板場らしい物の云い振りをしたかったのだ。文吉はぺちゃくちゃと音をさせて食べながら、おそで(継母)の連子の浜子さんは高等科を卒業して、今は大阪の大学病院で看護婦をしているそうでえらい出世であるが、順平さんのお嫁さんは浜子さんより別嬪さんである。俺は夜着の中へ糞して情ない兄であるが、かんにんしてくれと云った。聴けば、金造は強慾で文吉を下男のように扱い、それで貯金帳を作ってやっているというのも嘘らしく、その証拠に、この間も村雨羊羹を買うとて十銭盗んだら、折檻されて顔がはれたということだ。そんな兄と別れて帰る帰途、順平は、たとえ美津子に素気なくされ続けても、我慢して丸亀の跡をつぎ、文吉を迎えに行かねばならぬと思った。癖で興奮して、出世しようしようと反り身になって歩き、下腹に力をいれると、いつもより差し込み方がひどかった。
名ばかりの亭主で、むなしく、日々が過ぎた。一寸の虫にも五分の魂やないか、いっそ冷淡に構えて焦らしてやる方が良いやろと、ことを察した木下が忠告してくれたが、そこまでの意気も思索も浮ばなかった。わざと順平の子だといいならして、某生徒の子供が美津子の腹から出た。好奇心で近寄ったが、順平は産室にいれてもらえなかった。しかし、産婆は心得て順平に産れたての子を渡した。抱かされて覗いてみると、鼻の低いところなど自分に似ているのだ。本当の父親も低かったのだが。
近所の手前もあり、吩咐られて風呂へ抱いて行ったりしている内に、なぜか赤ん坊への愛情が湧いて来た。しかし、赤ん坊は間もなく死んだ。風呂の湯が耳にはいった為だと医者が云った。それで、わざと順平がいれたのであろうという忌わしい言葉が囁かれた。ある日、便所に隠れてこっそり泣いていると、木下がはいって来て、今まで云おう云おうと思っていたのだが……とはじめてしんみり慰めてくれた。そうして木下は、僕はもうこんな欺瞞的な家には居らぬ決心をしたといった。木下は、四十にはまだ大分間があるというものの、髪の毛も薄く、弁護士には前途遼遠だった。性根を入れていないから、板場の腕もたいしたものにならず、実は何かといや気がさしていたのだ。馴染みの女給がちかごろ東京へ行った由きいたので後を追うて行きたいと思っていた。その女給に通う為に丸亀に月給の前借が四月分あるが、踏み倒す魂胆であった。
その夜、二人でカフェへ行った。傍へ来た女の安香水の匂いに思いがけなく死んだ父のことを思い出し、しんみりしている順平の容子を何と思ったか、木下は耳に口を寄せて来て、この女子は金で自由になる、世話したげよか。順平は吃驚して、金は出しまっさかい、木下はん、あんた口説きなはれ、あんたに譲りまっさ。いつの間にか、そんな男になっていた。脱腸をはじめ、数えれば切りのない多くの負《ひ》け目が、皮膚のようにへばりついていたのだ。
二
文吉は夜なかに起されると、大八車に筍を積んだ。真っ暗がりの田舎道を、提灯つけて岸和田までひいて行った。轍の音が心細く腹に響いた。次第に空の色が薄れて、岸和田の青物市場
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