て木下は、僕はもうこんな欺瞞的な家には居らぬ決心をしたといった。木下は、四十にはまだ大分間があるというものの、髪の毛も薄く、弁護士には前途遼遠だった。性根を入れていないから、板場の腕もたいしたものにならず、実は何かといや気がさしていたのだ。馴染みの女給がちかごろ東京へ行った由きいたので後を追うて行きたいと思っていた。その女給に通う為に丸亀に月給の前借が四月分あるが、踏み倒す魂胆であった。
 その夜、二人でカフェへ行った。傍へ来た女の安香水の匂いに思いがけなく死んだ父のことを思い出し、しんみりしている順平の容子を何と思ったか、木下は耳に口を寄せて来て、この女子は金で自由になる、世話したげよか。順平は吃驚して、金は出しまっさかい、木下はん、あんた口説きなはれ、あんたに譲りまっさ。いつの間にか、そんな男になっていた。脱腸をはじめ、数えれば切りのない多くの負《ひ》け目が、皮膚のようにへばりついていたのだ。

       二

 文吉は夜なかに起されると、大八車に筍を積んだ。真っ暗がりの田舎道を、提灯つけて岸和田までひいて行った。轍の音が心細く腹に響いた。次第に空の色が薄れて、岸和田の青物市場
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