が白い。痩《や》せた肩《かた》に湯気《ゆげ》が立つ。ピシ、ピシと敲《たた》かれ、悲鳴をあげ、空を噛《か》みながら、やっと渡ることができる。それまでの苦労は実に大変だ。彼《かれ》は見ていて胸が痛む。轍の音がしばらく耳を離《はな》れないのだ。
 雨降りや雨上りの時は、蹄がすべる。いきなり、四つ肢をばたばたさせる。おむつをきらう赤《あか》ん坊《ぼう》のようだ。仲仕が鞭でしばく。起きあがろうとする馬のもがきはいたましい。毛並《けなみ》に疲労の色が濃《こ》い。そんな光景を立ち去らずにあくまで見て胸を痛めているのは、彼には近頃|自虐《じぎゃく》めいた習慣になっていた。惻隠《そくいん》の情もじかに胸に落ちこむのだ。以前はちらと見て、通り過ぎていた。
 ある日、そんな風にやっとの努力で渡って行った轍の音をききながら、ほっとして欄干《らんかん》をはなれようとすると、一人《ひとり》の男が寄ってきた。貧乏《びんぼう》たらしく薄汚い。哀《あわ》れな声で、針中野《はりなかの》まで行くにはどう行けばよいのかと、紀州訛《きしゅうなまり》できいた。渡辺橋から市電で阿倍野《あべの》まで行き、そこから大鉄電車で――と説明
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