今はどうサバを読もうと思っても、四十以下には言えぬくらい老けてしまったが、若い頃はこれでも自分に迷って先祖の仏壇を売った男もいるくらい、鳴らしたものだ、四条の橋の上に張店みたいに並んだ何とかガールのお前のような女とは、ものが違うのだ――というお春の言葉は、陽子の耳をあかくさせたが、チマ子は負けずに言いかえした。
「あんたが仏壇お春やったら、うちは兵児帯おチマや。兵児帯おチマは喧嘩は売っても、体は売れへん。――年をきいたら笑って十七、可愛いあの子は兵児帯おチマ、喧嘩は売っても、体は売らぬ――とセンターでフライが唄うてるのを、あんた知らんのンか」
 三条河原町から四条、京極へかけて、京都の中心(センター)で、天プラ(フライ)の不良学生たちが唄っている唄を、チマ子は口ずさんだが、急にあーあと、自嘲めいた声になると、
「――ほんまに、うちのような娘を持った親はえらい災難や」
 その言い方にみんな笑った。お春も笑いながら、よれよれの背中を向けて、横になったが、留置場の床の痛さに骨ばった自分の体を感じた途端、お春はふと母親を想った。母親はもう七十、あと三年ももつまいが、しかし、自分の体が稼げ
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