んでしまうと、渡り鳥の本能でそのネグラへ帰って来る放浪者のあわれさであった。
「陽子、おれだよ。あけてくれ。邪険はいやだぜ。ねえ、泊めてくれよ」
その京吉の言葉を聴くと、陽子はああ、やっぱし帰って来たわと、薄い肉が透けて見える形の良い耳を、ほんのり上気させた途端、
「あら、あたしどうかしたのかしら。さっきから、横にもならないで、お床の上に坐ったきりでじっとしていたのだわ。あたし一体なにを考えていたのかしら」
浅い眠りの眼覚めに、ふっと襲った寂しさは、茉莉が死んで一人ぽっちになったという、まるで通り魔がすぎ去ったあとのような虚しさでもあったが、しかし、それよりも、眼が覚めてみれば、部屋には灯がついたまま、窓の外は雨が降り、金木犀が匂い、そして踊っていたのは夢だったのか――という憂愁の想いの方が、孤独の底を深くしていた。どんな人間でも持っているあえかなノスタルジアのようなものであった。だから、陽子は食堂車の灯を追うて線路伝いに汽車と一緒にかけ出そうとする子供のように、思いがけず現われて、ふっと消えてしまった京吉の足音を、何かにすがりつきたい女の本能のリズムに添うて、追っていたのだ。
「
前へ
次へ
全221ページ中213ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング