くと、いきなり顔を寄せて、舌の先でペロッと一嘗めした。煤が取れた。
「――どう……?」
ニイッと笑った貴子の顔は、恋をしない女の、恋の技巧がしたたるようだった。
遠くから見ていた章三は、いきなり起ち上った。
七
もう我慢が出来ぬ――と、章三は貴子の座席の方へ行こうとした。貴子の横面を殴ろうとしたのだ。
自分の女がほかの男と手を握り合っているばかりか、男の眼にはいった煤を、舌の先で嘗めて取っているのだ。遠くから見ていると、そのポーズがもっと別のことを錯覚させる。
章三でなくても、誰でも殴りたいと思うのは、当然だろう。しかし、その男が春隆でなかったら、章三もそれほど逆上しなかっただろう。春隆は章三にとって最もきらいな人種なのだ。
貴子が貴族に憧れるのは、結局卑賤に生れたことが原因しているが、それと同じ理由で、爪楊枝けずりの職人の家に生れた章三は、貴族というものに敵意を感じていたのである。そしてまた、爪楊枝けずりの職人の息子だということが、章三の自尊心を人一倍傷つき易いものにしていたから、人一倍カッとなって、殆んど前後の見境もなくなるところだった。
「自尊心を傷つ
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