と、春隆は例のいんぎんな調子で、腰を下したが、貴子のそんな言い方が何だか面白くなかった。雨が降り込むことをうっかり忘れていた間抜けさ加減を嗤われた――と思い込むほど、春隆も貴族の没落を感じている昨今妙にひがみ易くなっていた。
 一つには、煤が眼にはいった不快さも手伝っていた。煤が眼にはいるのは不可抗力とはいうものの、春隆はそれをくしゃみのように恥かしいことだと感ずる男だったのだ。煤というものは下賤の人間だけにはいるものだと思っているのだろう。
 むっとしながら眼をこする代りに、だから春隆はその手で貴子の手を握ることを思いついた。
 眼の中のコロコロとした痛みを我慢しながら、一方で女の手の触感をたのしむなんて、思えばわれながら噴き出したくなるようなものだったが、もともと気のすすまぬ旅行だ、それぐらいはしてもいいだろうと、春隆は思ったのである。
 京都の悪友から遊びに来いと誘われて、東京を立ってから、もう一月以上にもなる春隆のもとへ、すぐ帰れという母親の手紙が来たのは、もう三日も前のことだった。春隆の父は五年前に、築地の妾宅で睡眠中に原因不明の死に方をし、兄は映画女優のあとを追うて満州へ
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