びっくりしたように、木崎はききかえした。
「ダンサーだって真面目な職業ですわ」
陽子の口調は、新聞記者に語るダンス教師のように、ふと正面を切っていた。
「――ダンサーは労働者と変りはないんです。わたくし達は、三分間後ろ向きに歩いて、八十銭の賃金を貰う労働者です。わたくし達は、一晩のうちに、何里という道を歩くのです。人力車夫と同じ肉体労働者です。真冬でも、ぐっしょり汗をかきますわ」
ああ、その汗……と、木崎は想い出した。背中のくぼみにタラタラと流れるその汗を、木崎は、女の生理のあわれな溜息のように見たのだった。
その同じ汗を、亡妻の八重子は死ぬ前の日に流していたのだ。
木崎は夏に八重子と結婚した。木崎の借りていたアパートの一部屋で過した初夜の蚊帳を、木崎は八重子と二人で吊った。暗くして、螢を蚊帳の中に飛ばした。螢のあえかな青い火は、汗かきの八重子のあらわな白い胸のふくらみの上に、すっと停って瞬いた。
しかし、胸を病んでからの八重子は、もうどんなに暑い夜でも、きちんと寝巻を着て、ひとり蚊帳の中に寝た。汗をかく力もないくらい、衰弱していたのだ。
そして、死ぬ前の晩、八重子はか細
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