子は言いかけたが、巡査はそれには答えず、
「そら一丁!」
「よし来た!」
トラックの上の声が応じて、陽子はまるで荷物のように簡単に、積み上げられてしまった。
橋のたもとの街燈は、ガス燈のように青白く冴えて、柳の葉に降り注ぐ光の中を、小さな虫が群がって泳いでいた。陽子はトラックの上からふっとそれをながめた途端、気の遠くなるような孤独を感じた。
加茂川のせせらぎの単調なあわただしさは、何か焦躁めいた悔恨の響きを、陽子の胸に落していたが、やがてそれがエンジンの騒音に消されて、トラックが動き出した。
橋を渡ると、急にカーブした。途端に陽子は茉莉を想い出した。
陽子がダンサーになったのは、茉莉と知り合ったからであった。しかし、直接の動機はロマンティックなものではない。実は、家出して京都で宿屋ぐらしをしているうちに、二月の金融非常措置令の発表という殺風景な事情が、陽子をダンサーにしたとも言えよう。
家の方へは行先を隠し、また京都では素姓を隠す必要上、陽子は転入証明も配給通帳もわざと持って来なかった。だから、旧円を新円に替えることも、通帳から生活資金を引き出すことも出来なかった。旧円流通の期限が来ると、宿賃はおろか電車にも乗れないと、陽子は狼狽した。
新聞には、鉱三の封鎖反対論が出ていた。陽子は身にしみて同感だったが、しかし、一月前の父は、インフレ防止のためには封鎖策よりほかにないと、会う人毎に喋っていた筈だ――と想い出すと、一徹者だった父も選挙の成績をよくするためには、清濁ばかりか、黒も白も一緒に呑んでしまうようになるのかと、不可解な気がした。それが利口なのか利口でないのか、判らなかったが、父も鳩山一郎と共に何かタガがゆるんだような気がして、尻尾をまいて帰る気になれなかった。
「あたしの家出が封鎖のためにオジャンになったと判れば、パパは封鎖賛成論に逆戻りするかも知れないわ」
皮肉だけはつぶやいたが、しかし、たまたまセットに行った美容院で、茉莉と知り合い、相談を持ちかけた時は、全く途方に暮れていたのだ。
陽子は十五の年からダンスを知っていたし、好きでもあった。が、ダンサーをして新円を稼いで行くことを、陽子の自尊心が許したのは、ホールの環境に汚れずに、溺れるくらいダンスが好きでありながら、毅然として純潔を守って行く茉莉の自信の強さに刺戟されたからであった。
だから、陽子は茉莉がたよりであり、茉莉の死が陽子を全く孤独な気持に陥しいれたのもそのためだ。茉莉も陽子をたよっていた。
「それだのに、あたしはお通夜に行ってあげられない」
取りかえしのつかぬ二重の想いに揺れているうちに、やがてトラックは警察署についた。
四
トラックから降りると、陽子はそのまま闇の女たちと一緒に、留置場へ入れられた。
深夜の町をはだしで歩いていたというだけでも、疑われるのは無理もないと諦めていたが、しかし、警察へ行けばすぐ釈放されるだろうと、楽観もしていた。
それだけに、留置場の狭い穴をくぐった時は、泣けもしない気持だった。身動きも出来ない狭さや、不潔さや、いやな臭気もたまらなかったが、何よりも茉莉のお通夜に行けなくなったことが、情なかった。
それもみな、田村なぞへ行ったからだと、今更の後悔と一緒に、京吉の顔がうかんだ。
「田村はよせ、行くな!」
と、京吉も停めたし、お通夜も気になったし、素姓をかぎつけたのを好餌にして釣ろうという春隆のワナは月並みで俗悪だったから、余りに見えすいてもいた。
ところが、わざわざそのワナの中へ飛び込んで行ったのは、むろん春隆に口止めさせるためであった。
京都でダンサーをしているという秘密が春隆の口から洩れて父の耳にはいれば、強引につれ戻されるおそれはあったし、それに家出生活の辛さを我慢している気持の中には、誰も自分の素姓を知らないというひそかなスリル感があった。新聞の種になってしまっては、もうつまらないし、父の政治的人気に疵がつくという心配もあった。
一つには、京吉が命令するように停めたということへの、天邪鬼の反撥が、陽子の足を田村へ向けたのだ。
しかしまた、それと同じ天邪鬼が、田村へ行く時間を出来るだけ伸ばして、春隆を待たせてやろうという気持を、ふと起させた。
「お願いです。誰にもおっしゃらないで……」
と、思わず哀願したホールでの、みじめに狼狽した自分をそのまま持って行きたくなかったのだ。必ず来るという春隆の自信にも一応反撥したかったのだ。待たせる方が有利だという、女特有の本能も無意識に働いていた。
だから陽子は十番館を出た足で、まず近くのすし常という店へわざわざ寄って行った。
すし常の主人は変った男で、毎晩ホールへ行ってラストまで踊り、帰ってからそろそろ店をあけて、すしを握るの
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