結びついていたように……。なぜ、ダンスなどするのかと、それが悲しかったのだ。むりやり悲しんでいたのだ。そして、ますます重く沈んでいた。
「――お願い二つございますの。どちらも無理なお願いですの。きいていただけるでしょうか」
「とにかく伺いましょう」
木崎はじっと陽子の眼を見た。陽子も木崎の眼を見た。眼と眼とが触れ合ったが、しかし、陽子の眼は何一つ語っていなかった。木崎の眼の熱っぽさにくらべて、陽子の眼は取りつく島がないくらい、冷やかであった。眼は触れても、心は通わず、若い女というものは若い男と二人いる場合たいてい無意識のうちに恋愛へのスリルを感じている――という俗説に反撥するような、冷やかな無関心に陽子は冴え切っていた。
だから、言葉は事務的であった。
「実は、昨夜十番館でおうつしになったフィルムを、わたくしにいただきたいのです」
「なぜ……?」
「理由は申し上げたくございませんの。言えませんの。――理由を申し上げなくっちゃ、フィルムをいただけないでしょうか」
「いや、きいてもきかなくても同じ事です。お譲りすることは、どんな理由があっても、出来ません」
「なぜ……?」
「理由は言えません」
陽子と同じ返事をしたのは、皮肉ではなかった。陽子は暫らくだまっていたが、やがて、
「なぜ、わたくしをおうつしになられましたの……?」
「その理由も、今は言えません」
「…………」
「それより、あなたはなぜダンスなどしているんです」
木崎はいらいらした声になっていた。
「生活のためです」
陽子もむっとしていた。
「ダンサーをしなければ食えないんですか」
追っかぶせるように、木崎は言って、陽子をにらみつけた。
五
木崎ににらみつけられて、陽子の眉はピリッと動いた。自尊心が静脈の中をさっと走ったようであった。
「じゃ、おききしますが、ダンサーになってはいけないんですか」
「いけない!」
木崎は思わず叫んでいた。
「なぜ、いけないんですの」
「…………」
咄嗟に木崎は答えられなかった。持論だが、言葉にはならなかったのだ。なぜ、いけないのか、その理由はこれだと、昨夜うつしたホール風景の写真――陽子の後ろ姿の、ふと女体の醜さを描いた曲線を、見せるよりほかに、致し方のないものだった。
「あなたはダンサーという職業を軽蔑してるんでしょう……?」
「軽蔑……?」
びっくりしたように、木崎はききかえした。
「ダンサーだって真面目な職業ですわ」
陽子の口調は、新聞記者に語るダンス教師のように、ふと正面を切っていた。
「――ダンサーは労働者と変りはないんです。わたくし達は、三分間後ろ向きに歩いて、八十銭の賃金を貰う労働者です。わたくし達は、一晩のうちに、何里という道を歩くのです。人力車夫と同じ肉体労働者です。真冬でも、ぐっしょり汗をかきますわ」
ああ、その汗……と、木崎は想い出した。背中のくぼみにタラタラと流れるその汗を、木崎は、女の生理のあわれな溜息のように見たのだった。
その同じ汗を、亡妻の八重子は死ぬ前の日に流していたのだ。
木崎は夏に八重子と結婚した。木崎の借りていたアパートの一部屋で過した初夜の蚊帳を、木崎は八重子と二人で吊った。暗くして、螢を蚊帳の中に飛ばした。螢のあえかな青い火は、汗かきの八重子のあらわな白い胸のふくらみの上に、すっと停って瞬いた。
しかし、胸を病んでからの八重子は、もうどんなに暑い夜でも、きちんと寝巻を着て、ひとり蚊帳の中に寝た。汗をかく力もないくらい、衰弱していたのだ。
そして、死ぬ前の晩、八重子はか細い声で木崎を蚊帳の中に呼び入れて、
「短い縁だったわね」
ポロリと涙を落して、木崎の頭髪を撫でていたが、急にはげしく燃えた。
「ばか、死ぬぞ!」
「死んでもいい! 死んでもいい!」
と、叫ぶ八重子の体は寝巻の上から触れても、火のように熱く、掌には汗がにじみ、八重子の最後のいのちを絞り出したような、哀しい触感だった。――木崎はこの時ほど、妻の中の女のあわれさを感じたことはなかったのだ。
「しかし、その汗は、男に絞り出された汗じゃないか! 男と手を握り合って流す汗じゃないか」
木崎は苛々した声で言った。陽子はものも言わず、いきなりハンドバッグを掴んで、起ち上った。
六
「おやッ!」
怒ったのか――と見上げた木崎の顔へ、陽子は投げつけるように、
「げす[#「げす」に傍点]ッ!」
白い眼をキッと向けたかと思うと、もう背中を向けていた。
そして、さっと部屋を出て行こうとしたが、はいてみれば草履はみじめだった。陽子は半泣きになったが、しかし、ドアの音だけは、さすがに自尊心のように高かった。木崎はぽかんと坐っていた。
「何がげす[#「げす」に傍点]だッ!」
と、追って行
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