いたが、ことに木崎を好いていたようだった。が、それも相手にする者はいない――ということになっていたが、しかし、おシンはいつも女中部屋のドアをあけはなして、あらわな寝姿を見せながら寝た。そして、酔っぱらった誰かが帰って来て、おシンに近づいて、いたずらしかけても、おシンはただ鼾をとめるだけで、眼はあけようとはせず、翌日はけろりとした顔であった。十九歳だという。
「あら、いないわ。――木崎さアん」
おシンは木崎の部屋の戸をあけたらしい。
「ここだア!」
坂野がどなると、おシンはバタバタとはいって来て、
「あら、また注射。――木崎さん、お電話ア」
「今、手が離せんよ」
注射器のポンプを押しながら、坂野が代って答えた。
「だって、警察からよ」
「警察……?」
なんの用事だろうと、木崎は咄嗟に考えたが、思い当らなかった。昨夜チマ子がライカを盗んで逃げた――そのことに関係した用件だとは、気がつかなかった。
「今、手が離せんといえ」
坂野はわざとゆっくりポンプを押していた。
「だって、警察よ」
「じゃ、留守だと言っとけ!」
「本当にそう言ってもいいの」
「警察もへちまもあるもんか」
坂野は身上相談欄で悪徳巡査のことを読んでたので、まるで自分の細君が巡査と逃げたような錯覚を起していたせいか、ふと警察への得体の知れぬ反撥を感じていたようだった。
「――用事があれば、向うからやって来まさアね。ね、木崎さん。悪いことさえしなきゃア、警察なンて、自転車の鑑札以外に用はねえや。――断っちゃえ。留守だよ、木崎三郎旦那は留守でござんす」
「あんたに言ってないわよ。木崎さん早く行ってよ。あたし叱られるわよ」
しかし、坂野がなかなか針を抜かないので、おシンは、
「――知らないよ。叱られたって」
そう言いながら、バタバタと尻を振って出て行った。
六
「あ、一寸、おシンちゃん!」
坂野のふざけた調子を面白がっていた木崎も、さすがに少しは気になって、おシンを呼び戻そうとした時は、おシンはもうチャラチャラと階段を降りていた。
京吉はそんな容子をにやにや見ていたが、急に、
「おれ帰るよ。ヒロポンもりもり効いてやンね。辛抱たまりやせんワ!」
と、起ち上ると、はや麻雀のパイの、得意の青の清一荘(チンイチ)の頭に浮んだ構図にせき立てられるように、
「――さいなアら! 御免やアす」
舞妓のように言って、出て行った。
そして、管理室の横を通り掛ると、
「……木崎さん、お留守ですわよウ!」
と、はすっぱなおシンの声が聴えていた。苦笑しながら、京吉は玄関を出て行ったが、ふと立ち停ると聴き耳がピンと立った。
「――盗難……? あ、写真機ですか。あ、それでしたら、昨夜たしか……」
おシンがそう言いかけた時、京吉はいきなり管理室へはいって、おれにかせと、おシンの手から受話機を奪い取って、
「あ、もしもし。何でしたっけね」
「あなたは……?」
電話の声はいかにも口髭が生えていた。
「僕ですか。えーと……」
にやりと笑って、
「――事務所の者です。今出てました女中は一寸頭のゼンマイがゆるんでますので、僕が代りました」
おシンに背中をどやしつけられながら、京吉は肚の中でケッケッと笑い声を立てていた。
「木崎さんは……」
「留守のようです」
「昨夜、あなたン所で盗難があったでしょう……?」
「はてね」
「木崎さんの写真機が盗まれたはずですがね」
「へえーん。そんなはずはありませんがね。何にもきいておりませんがね」
からかうという積りではなかった。ただ不良青年特有の本能で、犯罪というものを無意識にかばいたい気持が、京吉を電話口に立たせていたのであろう。
「チマ子という娘知りませんか。木崎さんとどんな関係があるんですか」
「チマ子……?」
と、驚いてききかえしたが、さりげなく、
「――さア一向に……。ところで、何かあったんですか。チマ子……という娘……」
「いや、べつに……。御面倒でした」
「あ、もしもし……」
しかし、電話は切れていた。京吉は受話器を掛けて、おシンにきいた。
「昨夜何かあったの……?」
「木崎さんのライカがなくなったのよう」
「誰が……?」
「盗んだのか、木崎さん何とも言わないわ。警察へ届けないのよ」
「へえーん。チマ子が盗んだのか」
「チマ子、チマ子って、一体誰なの……? あんた知ってるの……?」
「いや、べつに……。おれ知るもンか」
京吉は狼狽気味であった。
七
ちょうどその時、表で待ちくたびれていた靴磨きの娘が、
「兄ちゃん、まだア……? はよ行こう!」
と、管理室へはいって来たのは、京吉にはもっけの幸いだった。
「よっしゃ。行こう」
行きかけて、ふと振り向くと、京吉の右の掌が、
「――おシンちゃん
前へ
次へ
全56ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング