だが、準備に暇が掛るので、ホール帰りのダンサーがわざと遅く行っても、大分待たされる。しかし、やはりダンサーの常連が多いのは、この店の主人からチケット代りに無料でくえるすし券を貰うからであろう。
やっとすし常を出ると、陽子は田村へ行ったが、案内されてはいった時の春隆の部屋は、煙草のけむりが濛々として、待たせた時間の長さを思わせていた。
――と、そんなことまで今陽子が想い出したのは、ちょうど陽子の隣りに膝をかかえて坐っている若い娘が、留置場の中へいつの間に持ってはいったのか、急に煙草を吸い出したからであろうか。
「姉ちゃん、一口吸わしたげよか」
浴衣をだらんと着たその若い娘は、陽子へ話し掛けて来た。チマ子だった。
五
「あたし……? いらないわ」
陽子が断ると、チマ子は吸い掛けの煙草を突き出して、
「遠慮せんでもええわ。はよ吸わんと、日本の煙草すぐ消えるさかい……」
留置されている娘とは思えなかった。
「いいのよ。あたし喫めないのよ」
「へえん……? 真面目やなア」
チマ子のその言葉に、陽子は微笑した。
実は田村へ行った時、春隆も同じような言葉を言った――それを、想い出したのである……。
「煙草いかがです。どうぞ」
「喫めませんの、あたし……」
「本当……? 真面目だなア」
そう春隆は言ったが、ビールの瓶は持って、
「――しかし、この方なら……」
「あら、いただけませんの」
「そうですか。じゃ、無理にすすめちゃ悪いから……しかし本当に飲めないんですか。少しぐらいなら……、飲むんでしょう……? 半分だけ……注ぐだけです。悪いかな、飲ましちゃ。僕も好きな方じゃないんです」
細かい神経を働かせながら、さすがに粘りも見せて、一人ペラペラ薄い唇を動かせていた。
「東京へお行きになるんですの?」
「ええ、明日」
「お行きになっても、あたしのこと誰にもおっしゃらないで下さいません……?」
「今夜のこのこと……?」
春隆はもううぬぼれていた。
「いいえ、ホールでおっしゃったこと……」
「ああ、あのこと……」
「もし誰かに知れると、あたしまた姿をくらまさなくっちゃなりませんわ。そしたら、十番館で踊っていただけなくなりますわねえ」
これくらいの殺し文句は、陽子も使えるくらい、――頭がよかった。
「いや、大丈夫ですよ。あはは……。二人っきりの秘密にして
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