置きましょう。じゃ、かん盃!」
「だめですの。本当に……」
「そうですか。じゃ、食事……」
「済んで来ましたの」
 それで遅かったのか、誰と食べて来たのかと、春隆は興冷めしたが、しかし、陽子の来た時間が遅かったのは、もっけの幸いだと思った。女中を呼んで、
「くるま呼べる……? くるまなければ、この方帰れないんだ」
「今時分、おくるまなンかおすかいな」
 あっては困る春隆のはらを、むろん女中は見ぬいていて、これは上出来だったが、余り心得すぎて、春隆がだんだんに陽子をひきとめる技巧を使おうと思っているのも知らず、あっという間に、さアどうぞと別室の襖をあけてしまった。
 行燈式のスタンド、枕二つ並んでいる。今見せてはまずい! と春隆が眉をひそめた途端、陽子はいきなり部屋を飛び出してしまったのだ。帰るきっかけをなくしかけていた陽子にとっては、女中が申し分のないきっかけを与えてくれたようなものだが、しかし、そのあとが……廊下の章三、はだし、巡査、留置場……。
「ああ、いやな土曜日!」
 思わず額をおさえていると、
「姉ちゃん、飴あげよか」
 チマ子がまた話し掛けて来た。

      六

 陽子はあきれてチマ子を見た。
 兵児帯は留置される時に、取られたのであろう。だらんとはだけた浴衣の裾は立てた膝にまきつけていても、すぐみだれ勝ちになるのだが、それが案外だらしなく見えなかったのは、白粉気のない皮膚の清潔さと、青み勝ちに澄んだ眼の、怜悧そうな光のせいであろう。にやっと笑ってうかべたエクボには、あどけない少女も感じられた。
「こんな可愛いい子が……」
 煙草や飴玉をひそかに留置場へ持ってはいっている大胆不敵さに、陽子は驚いたのだ。
「トラックに乗ってる間に、浴衣の縫込みへこっそり入れといたってン」
 チマ子はペロリと舌を出して、素早く陽子に飴玉を渡した。陽子は茉莉を想い出した。
「姉ちゃん、ブラックガールのわりにきれいな」
「ブラックガール……?」
 すぐに意味が判らなかったが、
「――ああ。ちがうのよ。間違えられたのよ」
「そうやろと思った」
 チマ子は留置場の中を見廻して、
「――そこらにいる奴と大分ちがうと思った。あそこにいる女、あれ常習犯で病院へ入れられとったのに、毎晩こっそり逃げ出して、商売しとってん。病院にいると、親が養われへんそうや。まず親の働き口から見つけたら
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