濡らしたのか、――という視線で陽子の体をジロジロなめまわしているうちに、京吉の眼は次第に妖しく据って、ジリジリ迫る男の眼になっていたのだ。
陽子自身にも、そのような眼は意外だったが、京吉自身にとっても思い掛けなかった。
女の体は十六の歳から知っていながら、恋は一度もしなかった京吉にとって、ただ一人ひそかに陽子へ抱いているなつかしさは、もはや恋心といってもよかった。それだけに、陽子の体だけは指一本触れず、そっとして置きたかったのだ。自分の踊りの技巧が相手の女の生理を迷わすことを知っていたから、恋をしながら陽子とは踊ろうともしなかったくらいだのに、いま陽子の触感を求めている。このありきたりの情熱は一体何としたことであろう。
「ねえ、帰ってよ」
「…………」
「帰ってったら! 京ちゃん!」
そんな眼をすると怖いわ――という声はわざと聴かぬふりをして、京吉は窓の外の雨の音を聴いていた。焦躁のような音であった。
その音を陽子も聴いていた。そしてもし京ちゃんが強く出て来たら、自分はもう拒む力もないだろう――と、がっかりしてしまったくらい、その雨は気の遠くなるような孤独の音を、陽子の耳に降らせていた。
しかし、京吉がいきなり陽子を抱き寄せようとすると、
「あ、京ちゃん、待ってよ。あたしはそんな女じゃないわ」
陽子にとって一番大事なものが自尊心であるとすれば、この自尊心を与えているのは、自分は二十四の今日までたった一つ捨てずに来たものがあるという誇りだった。何れは捨てねばならぬものではあろうが、しかし、それをこんな風に簡単に……。その屈辱と、そして羞恥心と恐怖が、必死の力で京吉を防ぎながら、
「――あッ、京ちゃん、あたしに死ねというの、あたしをそんな女と思ってるの……?」
「だって陽子昨夜キャッキャッじゃなかったじゃねえか」
一人寂しく寝るという意味を「キャッキャッ」に含ませて、昨夜は首ったけ侯爵に許したじゃないか――と、なおも迫ると、
「違うわよ。キャッキャッよ。昨夜はキャッキャッよ。あたしを信じてよ。何でもなかったのよ」
陽子は必死で「キャッキャッ」を口にしていた。
「本当か」
京吉は陽子の眼を覗きこんで、その瞳に自分の醜い表情が夜光虫の光のようにうつっているのを見た。
「本当よ。逃げたのよ。はだしで逃げたのよ。わたしは……」
そんな女じゃないわ――という言
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