切れぬ想いがなくなったのと同時に、女と二人だから泊めるのだという自分へのいいわけもなくなり、わざとドアをあけていたのだが、しかし、何だか京吉を警戒してあけているような気が、ふと陽子の自尊心を傷つけたのだろう。
「恋人……? へんなこと言うなよ。誰かの女房で、誰かのいろおんなだよ。考えてみれば、あの女もひでえキャッキャッだよ。いや、考えてみなくても、キャッキャッだよ」
「キャッキャッって何なの……?」
 坐ろうとしたが、靴下を脱いだ京吉の素足に、ふとなまなましい男を感じて、陽子はあわてて顔をそむけ、やはり立っていた。
「キャッキャッはアラビヤ語だって、グッドモーニングの銀ちゃん言っていたよ。陽子、銀ちゃん知らんだろう。銀ちゃん与太者だけど、中学校出てるんだ。キャッキャッって、一人寂しく寝ることだって、銀ちゃん学があるよ」
「つまらないこと言ってるわねえ。陽子断然軽蔑よ」
 陽子は京吉の前では、わざとはしたないダンサー口調が出た。そんな風にさせる所が京吉の徳であった。凄く大人っぽいかと思うと、まるきりテニヲハの抜けた舌足らずの喋り方をしたりする所が、女たちに気を許させるのであろう。自意識のあるもっともらしい男の前では感ずる羞恥心を京吉のような男の前では、奔放に捨ててしまうことが出来るのだった。眩しいほどの美貌だが、同時に暗闇のような男であった。
 だから陽子も寝巻に細帯というはしたない姿を、京吉の眼にさらしておれたのだが、急にこの暗闇からピカリと光る二つの眼がじろっと陽子の体を見た。
「何見てるの……?」
「陽子、今夜十番館へ行った……?」
「休んだの。あたしもうホールをよそうかと考えてるの」
「へえーン」
「このアパートも越そうと思うの。京ちゃんどこかアパート空いたら教えてよ」
「へえーン。越すの……? そうだろうね」
 昨夜首ったけ侯爵の春隆とてっきりだった――それが陽子の心境を変えてしまったのだと、京吉の眼は言葉のように針を含んでいた。
「何よ、そんな眼をして……」
「…………」
「京ちゃん、そんな眼をするんだったら、帰ってよ」
 陽子はふと気味悪くなった。ジリジリ迫る男の眼を感じたのだ。

      十

 この唇……この耳……この首筋……この肩……この手……この胴……この腰……この足……をあの首ったけ侯爵が髭の剃り跡のような青い触感と蛇の動きにも似たリズムで
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