して、アパートへ帰ると、もう自炊する元気もないくらい疲れた体を、古綿を千切って捨てるように、夜具の上へ投げ出した途端に、もう夢の世界だった。
夢の中で、京吉と踊っていた。ぐっしょりと汗をかきながら、踊っていた――と思ったのは、しかし、ふと眼をさましてみれば、盗汗だった。半年近いホール生活で、すっかり体をこわしたのだろうか、こんなに盗汗をかいてるわ――と思う前に、なぜ京ちゃんと踊っている夢を見たのだろうと、何か自分でも思いがけぬ触感のリズムが伴う胸苦しい甘さの後味に驚いていた。
あたし京ちゃんと踊りたいのかしら、あたし踊りたい人なんかいなかったのに。そんな下品なこと考えてみたこともなかったのに。いいえ、夢にも思ったこともないのに。あたしは男の人と踊っても、ただ石になっていたのに。石には触感はない。あたしの触感があたしを裏切るなんて。あたしこんな下品さがあるなんて。おや、あの匂いは何だろう。
アパートの中庭の金木犀の花が、雨に濡れて匂っていたのだ。その匂いをふっと甘く感じた途端に、再び陽子は眠りに落ちていた。
浅い眠りのその中で、陽子はまた踊っていた。京吉と踊っていたのだが、耳の傍で自分の名を呼んでいるのは、木崎だった。木崎と踊っているのだった。
はっと眼をさますと、部屋の外で声がしていた。京吉の声だと思った途端、ほのぼのとしたなつかしさがふっと胸に来たが、しかし、
「ねえ、泊めてくれよ。ねえ」
という、いつもの声に、思わずその胸をかき合わせていた。
「駄目よ。約束がちがうわよ」
「そんなこと言うなよ」
と、部屋の外の声が言った。
「だって土曜日だといったじゃないの」
土曜日には泊めてあげる――と、はっきり約束したわけではなかったが、それを言った。
「だって、おれ泊るところねえんだよ。おれ一人じゃねえんだよ。二人だよ。女と一緒だよ。泊めてくれよ」
「あたし帰る」
芳子は何思ったのか、急に階段を降りかけた。
「あッ、芳ッちゃん、待ってくれよ。ねえ、芳ッちゃん!」
その頃四条河原町の雨の中を、二人の男がぐでんぐでんに酔っぱらって、肩を組みながら、よろよろと歩いていた。坂野とグッドモーニングの銀ちゃんだった。
六
「銀ちゃん、あたしゃアもはや一滴も駄目でさア」
もう飲みまわるのはよしにしよう――と、坂野は眉毛まで濡れ下ったびしょ濡れの顔を
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