は文五郎のあやつる三勝半七のサワリを見ていたのである。
そして、ここに、大阪の感覚があると思った。物事をいやに複雑化してやに下ったり、あの人間の、このおれの心理はどうだ、こうだ、お前の不安がりようが足りないなぞと言っていた東京の心理主義にわずらいされて、遂に何ごとをも信ずることを教えられなかった私は、大阪の感覚だけは、信じた。私はそこに私の青春の逆説的な表現を見つけたのである。すくなくとも、私は東京のもっている青春のいかものさ加減に、反抗したのである。
二十八歳で「夫婦善哉」を書くのはおかしいと言うが、しかし、それでは、東京に現在いかなる二十八歳の青春の文学があるというのか。すくなくとも私はそれを見せてもらえなかった。私の見たのは、青春のお化けである。よしんば、それが青春らしいものを、もだもだと表現しているにしても、二十代、三十代の者を唯一の読者とするような作品では、所詮はせせこましい天地に跼蹐《きょくせき》しているに過ぎない。もっとも、私とても五十歩百歩、二十八歳の青春を表現したとは言うまい。そんなことを言えば、嗤われる。ただ、私のしたことは、魂の故郷を失った文学に変な意義を見つ
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