そんなことを考えると、私は、織田氏の勇敢さを感ずる。織田氏程の人が、東京の感情に合うような細工が出来ない訳はないだろうし、そういう細工をすれば、というくらいのことを感じないわけはないと思うが、それにも拘らず、あの作品を書き送ったということは、東京文壇に対する一種の反逆と見られないことはないと思う」
と、宮内氏も書いて居られる通りだ。東京の標準文化なぞ、御免だと、三年間、東京にいる間に、愛想をつかしたのである。東京の標準の感覚で見た標準人を標準語で描くような文学に愛想をつかしたのである。
東京に自分の青春なぞあると思ったのは、間ちがいだったと、私は東京の心理主義文化に歪められた自分の青春を抱いて、三勝半七のお園のように、「お気に入らぬと知りながら、未練な私が輪廻ゆゑ、そひ臥しは叶はずとも、お傍に居たいと辛抱して、是まで居たのがお身の仇」と呟いて、東京にさよならしたのである。反感をもたれても、致し方ない。
故郷の大阪へ帰った私は、しかしお園のように、
「去年の秋のわづらひに、いつそ死んでしまつたなら」などと、女々しくならずに、いそいそと新しい大阪という夫のふところに抱かれた。既に、私
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