読者にとっては、全々別な味がしたのではないか、と思われる」
私の作品に好意的に触れておられる文章故、いささか気がさしながら引用したのであるが、要するに、これをもって見れば、すくなくとも、大阪的な作品は東京文壇の理解するところとならぬのではあるまいか。
どうせ、文学に対する考え方なぞ、人生に対する考え方とおんなじで、十人十色であり誰の作品にしろ、作者が意気ごんで待ち構えているほどには、いいかえれば、作者が満足する程度に、理解されることなぞ、まかりまちがっても有り得ないのであるから、なにも大阪的な作品が東京文壇に理解されないといって、悲しむにも当らないのであるが、しかし、大阪に対するある種の感情が理解を阻んでいるとすれば、いや、そう言われてみれば、「単なる」にしても、とにかく一つの「不幸」として考えられないわけではない。
だからといって、私は姑に虐められた嫁のように、この不幸に打ち沈んでいるわけではさらにない。むしろサバサバしている。というのは、実は嫁の方ではじめから姑に愛想をつかしていたからである。姑はなんでもかんでも、自分の言う通りせよと言う。それをいやだと、言ったのである。
「
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