同志の虚々実々の駆引《かけひ》きは勿論である。けれど、坂田と東京方棋士乃至将棋大成会との間にわだかまる感情問題、面目問題はかなりに深刻である。大成会内部の意見を纏《まと》めるのさへ、容易ではなかつた。おまけに肝腎の坂田自身がお話にならぬ難物であつた。
たいていの新聞社はこの坂田の口説《くど》き落としだけで参つてしまつたのだ。
「銀が泣いてゐる。」といふ人である。――ああ、悪い銀を打ちました、進むに進めず、引くに引かれず、ああ、ほんまにえらい所へ打たれてしもたと銀が泣いてゐる。銀が坂田の心になつて泣いてゐるといふのだ。坂田にとつては、駒の一つ一つが自分の心であつた。さうして、将棋盤のほかには心の場所がないのだ。盤が人生のすべてであつた。将棋のほかには何物もなく、何物も考へられない人であつた。無学で、新聞も読めない、交際も出来ない。それ故、世間並の常識で向つても、駄目であつた。対局の交渉を受けて、
「そんならひとつ盤に相談しときまひよ。」といふ詞は伊達《だて》ではない。それを聴いては、もうどんな道理を持つて行つても空《むな》しかつた。交渉に行つた記者はかんかんになつて引き下つた。
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