である故、まづ如何《いか》やうに天下無敵を豪語しても構はないやうなものの、けれど現に将棋家元の大橋|宗家《そうけ》から名人位を授けられてゐる関根といふ歴《れつき》とした名人がありながら、もうひとり横合ひから名人を名乗る者が出るといふのは、まことに不都合な話である。おまけに当の坂田に某新聞社といふ背景があつてみれば、ますます問題は簡単で済まない。当然坂田の名人自称問題は紛糾をきはめて、その挙句《あげく》坂田は東京方棋士と絶縁し、やがて関東、関西を問はず、一切の対局から遠ざかつてしまつた。人にも会はうとしなかつた。
彼の棋風は、「坂田将棋」といふ名称を生んだくらゐの個性の強い、横紙破りのものであつた。それを、ひとびとは遂《つひ》に見ることが出来なくなつた。かつて大崎八段と対局した時、いきなり角頭の歩を突くといふ奇想天外の手を指したことがある。果し合ひの最中に草鞋《わらぢ》の紐を結ぶやうな手である。負けるを承知にしても、なんと不逞々々《ふてぶて》しい男かと呆《あき》れるくらゐの、大胆不敵な乱暴さであつた。棋界は殆んど驚倒した。一事が万事、坂田の対局には大なり小なりこのやうな大向《おほむか》
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