しかし少数の泣かない文学も目下のところ泣く文学には勝てない。泣かない世代、泣けない私たちはもしかしたら、泣く時代、泣ける彼等より不幸なのかも知れない。
 してみれば、よしんば二十歳そこそこだったとはいえ、女との別れ話に泣きだした時の私は案外幸福だったのかも知れない。取り乱すほど悲しめたのは、今にして想えば、なつかしい想い出である。もっとも、取り乱したのは、一種のジェスチヤだったのかも知れない。おれは別れることにこんなに悲しんでいるのだという姿を、女にも自分にも見せて、自虐的な涙の快感に浸っていたのだろう。泣いている者が一番悲しんでいるわけではないのだ。
 しかし泣けない私たちが憧れるのは、とにもかくにも泣けた青春時代であろう。私の一生には私を泣かせるような素晴らしい女はもはや現われないだろうが、しかしよしんばつまらない女とでも泣けた時代が羨ましいのである。ひとの羨むような美女でも、もし彼女がウェーブかセットを掛けた直後、なまなましい色気が端正な髪や生え際から漂っている時は、私はよしんば少しくらい惚れていても、顔を見るのもいやな気がする。私は今では十五分も女が待てない。女とそれきり会えな
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