った。二人ともよく飲んだ。話がたまたま昔話に移った。「あの時は君は……」H・KはいきなりT・Iにだきついて、泣きだした。T・Iも「K君、よく来てくれた。おれは会いたかったよ」と泣いた。速記者があっけに取られていると、二人は起ち上って、ダンスをはじめた。ダンスがすむと、また文学論に移ったということである。十日ほどして同じ雑誌でT・Mという福井に疎開している詩人をよんで、また座談会をした。T・Iが司会、酒……。やはりT・MはH・Kがしたように、T・Iと抱き合って、泣きだしたという。H・KもT・MもT・Iも同じ四十代である。私はこの話をきいた時、「四十代と三十代とは違う」と思った。私たちは旧友に会うても、昔話をしても、酒を飲んでも、泣くようなことはない。
H・KもT・MもT・Iもそれぞれの専門では一流の学者である。しかし、私たち「泣かない」三十代の文学者にはこれといった仕事をする人間がいない。文学者としての宿命を感じさせるような者もいないし魅力も乏しい。文学者として世に立っても、型が小さすぎる。やはり泣かない世代はだめなのだろうか。泣かない世代には泣かない悲しみの文学がありそうなものだが、
前へ
次へ
全21ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング