で来る。二杯で一組になっている。それを夫婦《めおと》と名づけたところに、大阪の下町的な味がある。そしてまた、入口に大きな阿多福人形を据えたところに、大阪のユーモアがある。ややこしい顔をした阿多福人形は単に「めをとぜんざい」の看板であるばかりでなく、法善寺のぬしであり、そしてまた大阪のユーモアの象徴でもあろう。
大阪人はユーモアを愛す。ユーモアを解す。ユーモアを創る。たとえば法善寺では「めをとぜんざい」の隣に寄席の「花月」がある。僕らが子供の頃、黒い顔の初代春団治が盛んにややこしい話をして船場のいとはんたちを笑わせ困らせていた「花月」は、今は同じ黒い顔のエンタツで年中客止めだ。さて、花月もハネて、帰りにどこぞでと考えると、「正弁丹吾亭《しょうべんたんごてい》」がある。千日前――難波新地の路地の西のはずれにある店がそれだ。「正弁丹吾」というややこしい名前は、当然、小便たんごを連想させるが、昔ここに小便の壺があった。今も、ないわけではない。よりによって、こんな名前をつけるところは法善寺的――大阪的だが、ここの関東煮が頗るうまいのも、さすが大阪である。一杯機嫌で西へ抜け出ると、難波新地である
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