坂田は海岸通を黒く歩いていた。海にも雪が降り、海から風が吹きつけた。引きかえしてもう一度流川通に立つ元気もいまはなかった。やっぱり照枝と松本はなんぞあったんやと、永年想いまどうて来たいまわしい考えが、松本の顔を見たいま、疑う余地もなくはっきりしていた。しかし、なぜか腹を立てたり、泣いたり、わめいたりする精も張りもなく、不思議に遠い想いだった。ひしひしと身近かに来るのは、ただ今夜を越す才覚だった。
 喫茶店で一円投げ出して、いま無一文だった。家に現金のある筈もない。階下のゆで玉子屋もきょうこの頃商売にならず、だから滞っている部屋代を矢のような催促だった。たまりかねて、暮の用意にとちびちび貯めていた金をそっくり、ほんの少しだがと、今朝渡したのである。毎年ゆで玉子屋の三人いる子供に五十銭宛くれてやるお年玉も、ことしは駄目かも知れない。いまは昔のような贅沢なところはなくなっているが、それでも照枝はそんなことをきちんとしたい気性である。毎日寝たきりで、思いつめていては、そんなことも一層気になるだろう。別府で死にたいと駄々をこねて来たものの、三年経ったいまは大阪で死にたいと、無理を言う。自分のよう
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