になった。照枝は東京の子供たちの歯切れの良い言葉がいかにも利溌な子供らしく聴えて以来、お腹の子供はぜひ東京育ちにするのだと夢をえがき、銭勘定も目立ってけちくさくなった。下着類も案外汚れたのを平気で着て、これはもともとの気性だったが、なにか坂田は安心し、且つにわかに松本に対する嫉妬も感じた。
 学生街なら、たいして老舗がついていなくても繁昌するだろうと、あちこち学生街を歩きまわった結果、一高が移転したあとすっかりはやらなくなって、永い間売りに出ていた本郷森川町の飯屋の権利を買って、うどん屋を開業した。
 はじめはかなり客もあったが、しかし、おいでやす、なにしまひょ、けつねですか、おうどんでっかという坂田の大阪弁をきいて、客は変な顔をした。たいていは学生で、なかには大阪から来ている者もいたのだが、彼等は、まいどおおけにという坂田の言葉でこそこそと逃げるように出て行くのだった。そばが無いときいて、じゃ又来らあ。そんな客もあった。だんだんはやらなくなった。
 照枝はつわりに苦しんで、店へ出なかった。坂田は馴れぬ手つきで、うどんの玉を湯がいたり雇の少女が出前に出た留守には、客の前へ運んで行ったり
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