そんな風に一人ぽつりと離れて、鋭敏な眼を光らせながら突っ立っているのは豹一だけだった。妙に生気が感じられた。
 じつは、仕事らしい仕事を与えられず、ときどき土門に金を借りられる以外は誰からも一顧も与えられなかったので、豹一はうんざりし、かつ何か屈辱を感じていたのである。新入社員のみじめな負目が皮膚にこびりつき、ひとびとの視線が何れも軽蔑の色を泛べているように大袈裟に感じられたので、自然豹一の社内に於ける態度は、醜いほどぎこちなかった。しょっちゅう何糞と力みかえりながら、どこかの隅に突っ立って眼を光らせていたのである。ひとつには、机の数が不足していたので、豹一には坐るべき場所がなかったのだった。
 とにかく、編輯長ははじめて豹一に注目した。思い出すまでちょっと時間が掛った。
(あ、あれか?)とはじめて豹一が新しくはいった見習記者であることに気がついた途端、編輯長はなにかしら満足感を覚えた。入社試験の成績が風変りに良かったことが思い出された。見れば美少年だ。(あの男をひとつ使って見るかな)美少年だから、カフェの女給の尾行に適任だという編輯長の咄嗟の考えは、極めて安易な思いつきだったが、結局人を使うのにこんな安易な公式的なやり方がいちばん無難なのかも知れぬ。
 給仕に呼ばれて、豹一は編輯長室へはいって行った。
「君、いま手が空いているか?」
 用事を吩咐《いいつけ》る時の編輯長の文句はいつもこれだ。つまりは、人を使うのが巧いというわけだった。ところがこの言葉は豹一にははなはだ面白くなかった。手の空いていない時など、入社以後絶対になかったのである。
「はあ、べつに……」豹一は赧くなった。
「そんなら、ひとつやって貰おうか?」編輯長は豹一の成すべき仕事を説明して、
「こら大任やよって、気張ってやってや」と、念を押した。
 この際なら、どんなけちな仕事にでも豹一は活気づくことが出来たにちがいなかった。だから、大任だという編輯長の言葉は豹一をすっかりのぼせあがらせてしまった。
「いま直ぐ廻ります」豹一は「廻ります」という如何にも新聞記者らしい言葉を使えたことに満足しながら、言った。
「いま直ぐ言うても、カフェは晩にならんと店をあけへんぜ」
 編輯長に言われて、豹一はまるで出鼻をくじかれた想いで、周章てて、
「はあ、そんなら晩に……」と、言った。これもわれながら芸もない科白だった。一層まごついてしまった豹一は重ねて変なことを言った。
「原稿は僕が書くんですか?」
 むろんそんなわかり切った質問をする気は毛頭なかったのである。むしろ、良い原稿を書くぞという意気込みを含ませて、わざとそう言ったまでのことであった。ところが、編輯長にはそれがまるで「なるべくなら、ほかの人に書いてもらいたい。僕には未だ良い記事を書く自信がありませんから……」といっているようにきこえた。編輯長はがっかりしてしまったが、とにかく、「金が要るやろ」と、伝票を書いてくれた。
 豹一はそれを持って階下の会計へ行き、金を貰った。そして再び二階の編輯室へ現れて、壁に掛けてあるオーバをとって着込み、出て行った。その後姿をちらと見て、編輯長は一層失望してしまった。豹一のオーバは母親が無理算段の金で買ってくれたものだが、いわゆる「首つり」という代物だった。日本橋の洋服屋の店頭にぶら下げてある既製品だった。寸法を間ちがえたのか、むやみに裾が長かった。それをひきずるように着て、固い姿勢で歩いて行く豹一の後姿というものは、まるで宝塚少女歌劇の男役としか見えず、どう見ても一人前の新聞記者とは受けとれなかったのである。
 編輯長がそんな風な失望を感じたことは知らず、豹一は滑稽なことだが、仕事を与えられた喜びにすっかり興奮して淀屋橋の方へ歩いて行った。編輯長の前で随分へまなことを言ったことを想えば、どうあってもこの「大任」を果さねばならぬ。豹一はひどく落着きがなかった。淀屋橋まで来たが、足は止まらず、一気に肥後橋まで来てしまった。
 交叉点で信号を待っている間に、豹一はふと村口多鶴子の記事をよむために新聞を買うことを思いついた。朝日ビルの前で一そろいの新聞を買った。そしてビルのフルーツパーラーへはいって片っ端から読んで行った。
 世事にうとい豹一は村口多鶴子に関しては全く無知といって良かった。その名前も編輯長にいわれてはじめて知ったぐらいであった。「罪の女優」だとか「嘆きの女優」だとか新聞の見出しに使われている意味がちっともわからなかった。新聞もそれに就ては詳しく書かなかった。もはや散々報道されつくして、映画ファンでなくても誰でも知っている事実であったから、わざわざ村口多鶴子が「罪の女優」である所以を説明する必要もなかったのである。
 買って来た新聞に全部眼を通したが、結局豹一は村口多鶴子の罪や嘆きに就ては得るところがなかった。(なにが「罪」なもんか?)と、豹一は軽率にも呟いた。新聞に出ている村口多鶴子の顔には、罪とか嘆きとかいった印象は全くなかったのである。「新聞記者の前に語る」――あるいは「テーブルの間を泳ぐ」――村口多鶴子の顔はいちように妖艶とでもいいたい笑いを派手に泛べていた。まるでその写真から笑い声がきかれるようだった。イヴニングの胸のあたりにつけている花が、その笑いを一層はなやかなものにしていた。豹一は「罪の女優」とか「嘆きの女優」とか書いてあるのがどうもうなずけなかった。
(胸に花とはなんだい?)
 ありていに言えば、豹一はその写真に腹を立ててしまった。写真班が無理に笑わせたぐらいのことはわかりそうなものだのに、豹一にはそんな思慮深いところがなかった。だから、全く向う見ずに、花一つのことにも大袈裟に腹を立ててしまったのである。しかし、なぜそんなに腹が立つのであろうか。元来は虚栄心の強い男でありながら、――いやそのためか、豹一は華やかな名とか社会的な地位を鼻の先にぶら下げている連中には、一応は「因縁をつけたがる」というわるい癖があった。自然彼は弱いうらぶれたものに本義的に惹きつけられるのだった。しかし、これを正義感だと一概に片づけてしまうのは、軽卒であろう。なにかしら我慢の出来ぬ苛立った精神が、勝手気儘な好悪感の横車を通しているとでもいうところではなかろうか。いってみれば、彼には鷹揚な気持というものが生れつき備っていなかったのだ。ひとつにはこのとるに足らぬ(――と彼は思った――)女性を、大騒ぎで祭りあげている新聞記事というものに、自分が記者であることを忘れて、苦々しく思ったのである。そして、自分がそういうことを強いられている新聞記者であることを想出すに及んで、一層苦々しかった。(こういうことをさせられるのがおれの役目か?)そしてまた、序でに(おれならもう少し巧く書く)なお、つけ加えるならば、彼がなんの恨みもないのにこんなに村口多鶴子に面白からぬ感じを抱いたのは、彼が今夜彼女に会わねばならぬということも勘定に入っていた。
 その年齢からいっても、また性質からいっても、豹一にとってはどんな女性も苦手だったが、ことにこのどうやら高慢ちきそうな(――おまけに美しいと来ている――)村口多鶴子のような女は体がふるえるほど苦手だと思われた。(この女はおれを軽蔑するだろう)情けないことに、豹一はおじ気がついてしまった。すると、自分が腹立たしくなって来た。豹一はいきなり、なにが怖いもんかと起ち上って、
(勇気を出して会いに行くんだ! なんだ、こんな女ぐらい……)
 喧嘩に出掛ける男みたいに、物凄い勢でそこを飛び出した。が、村口多鶴子に会うまではまだ時間があり過ぎた。

      二

 キャバレエ「オリンピア」の「支配人」佐古五郎は昨日から引続いて、仰々しく燕尾服を着込んで、鼠のように忙しく立ち廻っていた。村口多鶴子のせいである、「支配人」ということにしているのだが、本当は宣伝部長とでもいうところだった。電機の工事人として、しばしば「オリンピア」へ工事に出掛けていたのが縁となって、「オリンピア」の電気掛りに雇われたのが、つい二、三年前のことだったが、いまでは平気で、「支配人」と自称し得るところにまで、「出世」した。所詮ただの鼠ではあるまいと業者でも評判であった。
 事実、才人であったかも知れない。てんで教養のないところなども宣伝部長としては打ってつけであった。普通の内気の人なら想像もつかないようなあくどい宣伝法を採用するなど、電機工あがりの彼を以てしてはじめて出来る芸当であった。たとえば村口多鶴子を「招聘」したことなどがそれである。歌人だとか女優くずれだとか、有名人をキャバレエに「招聘」するのは、宣伝としてはもはや常識になってしまっていることながら、村口多鶴子の場合だけは、業者もあっと驚いた。さすが佐古だと、その図太さには歯の立たぬ感じであった。
 問題の女優として宣伝されていたそのポスター価値を考えてみれば、なるほど一応は思いつけぬこともなかったが、しかしそれだけに一層なにか手の出せぬ感じだった。佐古めやりくさったとは、所詮あとの嘆きだった。一日の報酬何百円だと、そんな金ずくめの話なら、二の足も踏まなかったが、ともかく法廷にも立ち女優もやめねばならないほどの罪を犯した女ではないか。監督との醜関係の後始末を闇に葬ったと、まだ世間の記憶には血なまぐさかった。無罪にはなったというものの、やはり当分は世間へ出ることは憚るべき身である。事実機敏な映画会社でも彼女を引っこ抜くのは、もう少しあとでと思っていたくらいである。そんな村口多鶴子を引っ張り出そうとは、だから抜目のない業者もさすがに憚ったのだ。それを佐古は平気でやったのだ。いまいましいほどの図太い神経だと、業者もあきれたのも無理はなかった。
 図太い神経だけではなかった。執拗な押しの強さもあった。細かい頭の働きもあった。それでなければ、いくらなんでも村口多鶴子にうんといわすことが出来なかった筈である。全くそうした事件がなくとも、キャバレエに出ることなど自他ともに想像も出来ないような女だった。附焼刃にしろ、教養のある女優といわれていた。知性の女優とよばれていた。それゆえに人気もあり、また事件も一層大袈裟に騒ぎ立てられたのだ。事件のあとで歌など作っていた。だから、けっして彼女から、売り込んだ話ではない。わかりきったことである。佐古が持って行った話だ。当然のこととして、彼女ははねつけた。泪を流した恨めしそうな眼で、じっと佐古をにらんだのだ。普通の神経をもった男なら、それきりで諦めた話だった。ところが佐古にはそうしたものが欠けていた。
「あんたの人気を維持するためじゃおまへんか、それに、いま引っ込んでしもては、一生女優として立てなくなりまっせ。なにも、いつまでも居て貰おうとは思てしまへん。ここでの話でっけどな、うちの経営者が△△キネマを買収する計画を樹てていますねん。こら誰にも言わんといとくれやすや、その暁はあんたに一枚看板になって貰わんならん。芸術映画ちゅうもんをやりまっさかいな、どうしてもあんたみたいなひとに出て貰わんならんのや。つまりやな、あんたは△△キネマの舞台挨拶にでも出るのや思てくれはったら、よろしおまんねん」
 こうした嘘八百のことを佐古は前後四、五回にわたって、徐々に彼女に説明したのだ。彼女の映画界復帰の夢に希望をもたせたところはさすがであった。佐古は彼女を説き伏せるために、あらゆる手段をえらんだ。彼女の老いたる母親は何のことかわからぬ理由で、白浜温泉へ招待されたりした。女中のところへ身分不相応の品物がデパートから届けられた。母親、女中と三人ぐらしの彼女の生活費は、最近切り詰めてはいても、やはり相当な額だった。かつての人気女優の生計の苦しさというものは切ないものだったが、しかしこれも二ヵ月にわたって、「オリンピア」の会計が無理矢理に彼女の手に渡した。その額は女中の見積りによるもので、多くもなし、少なくもなし、全くあきれるほどの正確な額だった。
 そうまでされては、彼女ももはや断り切れなかった。むろん、頼みもしないのに、いや、それどこ
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