俺が来年まで就職出来ないと決めていやがる)
と豹一は腹を立てたが、しかしふと、一年や二年は失業したままでいる人間がざらにあるのだと思うと、そんな言葉もあるいは有難く聴くべきところかも知れないと、ひどく元気のない歩き方で薄暗い公会堂の階段を降りた。
帰りの電車は立てこみ、乱暴に踏みつけられた。その拍子に、(俺は生命保険の勧誘員にも成れないんだ)としょんぼり頭に泛んで、腹を立てる元気もなく、片一方の足で踏まれた足をこそこそと撫でていた。が、帰ると、日本畳新聞社から記者採用の通知が来ていた。
翌日、勝山通の日本畳新聞社へ出掛けた。電車の中で「採用致し度く、ついては一応御面談の儀もあり――」と薄い青色のインクで走り書きしたハガキを何度もふところから取出してみた。本当に採用かどうかと不安な気持で、空いた席がありながら、ずっと立ったままだった。勝山通四丁目で降りて、新開地らしく雑然と小売店や鉱業事務所が両側に並んでいるコンクリートの道を勝山通八丁目の生野女学校の傍まで行ったが、それらしい会社は見つからなかった。番地もとびとびだった。ひきかえして、省線のガード下を折れて行くと、薄汚いしもた屋の軒に「日本畳新聞社」と小さな看板が出ていた。格子窓の上に掛っている日覆にもその字があった。
戸をあけると、三和土の右側に四畳半位の板の間があり、机と椅子が二つ窓側に並び、そのうしろに帳簿棚が、その前にも机と椅子があった。それで辛うじてその板の間の部屋が事務所らしい体裁を備えていた。三和土のうしろに格子戸があり、台所が隙間から見えた。板の間から一段あがって、奥の座敷があるらしかった。
案内を請うと、奥からでっぷり肥えた四十位の女が出て来た。片一方の眼がぎらぎら光って、じっと横の方を凝視していた。義眼らしかった。葉書を見せると、板の間の椅子へ坐らせて、女は押入の戸をあけて、そこについている二階への階段をばたばたと上って行った。かと思うと直ぐ降りて来て、
「どうぞお二階へお上りやしとくれやす」と言った。スリッパを脱ごうとすると、
「どうぞそのままで。だいじおへんどっせ」京都訛で言った。二階へ上ると、窓側の机の前にあぐらをかいて、浴衣掛けのまま、ペンを走らせていた男が振り向いて、ガラスペンを耳の横へ挟むと、
「さあ、こっちへ来とくなはれ」と畳の上に置いてある籐椅子をすすめた。小柄な上にひどく痩せて、顔色のわるい、六十近い貧弱な男だった。口髭を生やしているために、一層貧相に見えた。浴衣をはだけた胸は皺だらけで、静脈が目立っていた。
「僕が社長です」そう言って、籐椅子へちょこんと坐り、きょときょとした眼で豹一を見た。が、直ぐ自分から視線を外らしてしまった。
「お忙しいところを――」と豹一が言うと、
「いやもう忙しゅうて困っとりまんねん。なんしょ年が、年でっさかいな。ちょっと書き物すると、脳がのぼせてくらくらしまんねん。社員が二人いましたやが、一人は病気でやめましてん。もう一人はもううちに十年ほど居てくれてる社員でっけどな、今営業のことで出張してまんねん、編輯は僕一人でやって来ましたんやが、もうこら誰ぞに半分助けて貰わな仕様ない、こない思てあんたに頼むことになったんでんねん、どないだ? やって呉れはりまっか?」それで採用と決ったのも同然だった。
「僕に出来ることでしたら」
「いや。あんたやったら文句無しに出来ますわ。三高を途中でやめはったそうでんな。惜しいこっちゃ。兵役は? ああ、なるほど、未だ十八、さよか」
勤務時間は午前九時から午後五時まで、月給は四十二円、賞与は年末に一回、月給の十割乃至十二割と決めたあと、社長は日本畳新聞社の業績に就いて喋ったが豹一はろくろく聴いていなかった。
翌日九時に出社すると、いきなり郵送用の帯封へ宛名を書かされた。正午まで打っ続けに三時間書いた。購読者だけでなく、宣伝用に無料で送附する同業者の宛名も書くので、なかなか捗らなかった。一々……畳店と畳の字を入れなければならぬのだが、畳という字が画が多くてやり切れなかった。六号活字でぎっしりと詰めて印刷してある同業者名簿をながめて、しきりに溜息をつき、また柱時計を何度も見上げた。正午のサイレンが鳴るまで、四百枚書いた。
最初決めていた枚数より少し多かったので、ちょっと気持よかったが、直ぐ無意味な快感だと、馬鹿らしい気持になった。
「お昼飯《ひる》にしとおくれやんす」
奥座敷から妻君の声がしたので、豹一はほっとして表へ出た。勝山通八丁目まで行って、飯屋で労働者にまじって十二銭の昼食をたべたあと、喫茶店の長椅子の上で死んだようになって横たわっていた。一時になると、帰って再び帯封を書き出した。西日が射し込んで来て、じっとりと額に汗がにじんだ。右の手がまるで自分のものとも思えぬ程痛んだ。中指に桃色のペンだこが出来たのを、情けない気持で見ながら、年中帯封を書かされるのなら、やり切れぬなと思った。
(働くとはこんなに辛いものか)とすっかり驚いた気持で、しきりに無味乾燥なその仕事を続けていると、三時が来て、社長の妻君がお茶をいれてくれた。貪るように啜っていると、社長が褌一つの裸で二階から降りて来て、
「こない日が射し込んで来よったら、毛利君かなわんやろ。もう直き簾をはりこむぜ。――どないや、帯封何枚ぐらい書けた?」
「六百枚位でしょう」
「そら早い。商売人なみや」
褒められたと思ったので、「帯封書きはえらいですね」と、微笑しながらお愛想にそう言うと、
「明日からほかの仕事してもらうぜ。月給はろて帯封書いて貰てたらうちの損や。商売人に頼んだら千枚なんぼで安う書いてくれよるネやから」
豹一はむっとしたが、同時に助かったという気持もした。その日一日中帯封を書いて、五時過ぎ、台所で手を洗って、「そんなら、帰らせていただきます」くたくたになって帰った。
翌朝眼を覚した時、今日も一日働くのかと思うと、怖いような気持がした。寝床の上にぼんやりと坐ったまま、なぜか紀代子や鎰屋のお駒の顔を想い泛べた。九時きっちりに出社すると、帳簿の整理をやらされた。振替郵便が来ると、入金簿へ金額、氏名、名目を記載し、もし購読料ならば購読者名簿へ購読年月日を記載し、広告掲載料ならば別の名簿へその旨書きいれる。単行本註文ならば、小包をつくり、猫間川の郵便局へ持参する。購読料が切れていると、あらかじめ印刷した催促のハガキを出す。そのたびに催促名簿へ年月日と氏名を記入し、その返事の有無をも書き込む。べつに郵便切手名簿へも「一銭五厘切手一枚、催促ハガキ用」等と書き込み、なお支出簿へも、「一銭五厘催促用支出」と記入するなど、一つの用件にたいてい三つか四つの帳簿に記入する必要があり、またその都度いろいろな印を印台から取出さねばならず、間誤ついた。
五厘切手使うのにも、まるで官庁のように、いろいろな帳簿に記入するので、社長の吝嗇《けち》な性格がひとごとならず、情けなく思われた。何かの時に支出簿を繰っていると、社員月給支払の文字が見えたので、注意して調べてみると、三年間に三円しか昇給していなかった。豹一はなぜか顔が赧くなった。その日の午後、ハガキに間違って三銭切手を貼ったところ、社長が見つけて、「もったいないことしいなや」と、きびしく注意した。周章《あわ》ててはがそうとすると、「無茶したらあかんぜ」ハガキをもったまま、台所へ行き金盥の水の中に浸して、切手をはがして戻って来ると、「気イつけてくれんとあかんぜ。切手はこないしてめくるのやぜ」と、言った。豹一は暫く顔をあげることが出来なかった。
一週間経ったある朝、豹一が出社して間もなく、白い縮のシャツの上へ薬剤師や医者の着る白い診療服のようなものを羽織った男が、自転車を押してはいって来て、柱時計を見上げ、
「あ、五分遅刻したぞ。この時計遅れてるのんと違うか」そう言いながら、豹一のうしろの机の埃をぷっと吹いて、「僕、営業主任の園井です。よろしく」と豹一に挨拶した。豹一は周章てて振り向きぺこんと頭を下げた。「出張してましてん。昨夜帰って来ましてん」
園井は未だ三十を余り出ていないのに、半分頭がはげていた。玉子型の顔がてかてかと光って、口髭を小さく生やしていた。社長一人、社員二人の会社で、わざわざ主任だと言いたそうなところが、そんな顔に備っていると思ったが、豹一はべつにおかしいとも思わず、固い表情で、
「暑くて大変だったでしょう」われながら卑屈だと思った。
「いや、暑いの、暑くないのって、ほんまにやり切れんかった」鼻を抜ける声で言って、眼鏡を突き上げると、「さあ、馬力を掛けて行こか。えらい仕事溜ってしもた。忙しゅうてどもならん」ガチャガチャ机の抽斗をあけたり、帳簿をくったりして、いかにも忙しそうな物音を立てていた。
「毛利君、ここへ切手貼ってんか」そう言って園井が出したハガキを見ると、小さな楷書の字でぎっしり詰めて書いてあった。それがいかにも律義者めいて、よくもこんなに根気よく丁寧に書けるものだと、豹一は感心してしまった。豹一は園井がもう十年もここで働いていることや、三年に三円しか昇給しなかったことを想い出した。
園井は正午《ひる》まで煙草一つ吸わず、帳簿の整理をしたり、集金郵便の予告状を書いたりして、打っ続けに働き、正午のサイレンが鳴ると、自転車に乗って近所にある自宅へ昼食をたべに行ったが、豹一が喫茶店から帰って見ると、もう物差を出して、しきりに広告欄の大組みをしていた。
そんな園井の視線を背中に感じていると、豹一はうかうか怠けるわけに行かなかった。じーんと時間の歩みが止ったような蒸暑さで、新聞をひろげて切抜記事を探していると、うつらうつらするのだった。そんな時は、いつか新聞の家庭欄などを見るともなく見ているのだが、ふと何やら園井の気配を感ずると、周章てて新聞をパラパラめくって、なんとなく鋏を取り上げたりした。ふと振り向くと、園井は物差の横ににじんだインクをせっせと吸取紙で拭っているなど、園井の勤務振りは一分の隙もなかった。
社長は二階で裸になってせっせっと記事を書いているし、妻君は奥の座敷で針仕事をしながら、居眠りをしたり、煙草を吸いながら虚ろな眼でじっと膝の上の猫を見たりしているし、結局誰も見ているわけでないのに、なぜ園井はこんなに真剣になって仕事をするのかと、豹一は驚いてしまった。
社長と園井が印刷所へ出張校正に行った留守中、豹一が帯封を書いていると、妻君が奥から出て来て、
「毛利はん。済んまへんけど、あんた、一つ手紙書いてくれはれしまへんどっしゃろか」と豹一に手紙の代筆を頼んだ。大津の料理屋で働いている彼女の友達から、近況問合せの手紙が来た、その返事を書いてくれと、彼女は言い、
「どんな風に書きましょう」豹一が訊くと、
「わてのこのお腹《なか》のなかにたまってる、いやや、いやや、思う気持を一ぺん正直に書いてほしいんどっせ」そして、彼女はこまごまと、「身の上話」をはじめた。
彼女は大津の料理屋で仲居をしていたが、一昨年社長の先妻が死んだ後釜にはいった。むろん浮いた仲ではない。仲人の口利きで、ちゃんとした見合結婚だったが、二十以上も年の違う社長と結婚する気になったのは、仲人の口で、社長が十年新聞を経営している間に五、六万の金をため、おまけに子供がないという点に心を惹かれたからだった。社長はもう六十過ぎているから、老先は短い。してみると、遺産の転り込むのも早いことだと慾を出して、来てみると、社長は未だピンピンしてけちくさく、嫉妬深い。それは我慢出来るとしても、どうにも我慢出来ないのは、結婚したのに籍をいれてくれず、おまけに園井の薦めで跡取に十二の子を養子に貰ったことだ。その養子はこともあろうに、園井の甥で、いずれ社長が死んだ暁は遺産は全部養子のものになり、後見者の園井が自由にしてしまうに違いない。
「わてらには一文も転り込んで来えしまへんのどっせ。そらまあ、よろしおすけど、未《いま》だに市場行きの金かてわてに自由にさせてくれはらしまへんのどっせ。それに、あ
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