顔色ばかりうかがっている。教師の下手な洒落をもノートにうつす始末だ。教師が教室で講義に飽いて雑談すると、「それ試験に出ますか」と質問するていの点取虫だ。おまけに塾の掟を何一つ破るまいと、立居振舞いもこそこそしている。時に静粛を破って寮歌をうたったりするが、それも三高生になれたという嬉しさの余りのけちな興奮だ。
(だいいち秀英塾だなどと名前からしていやだ)
塾といっても、教師は居らず、ただ三年生の中田が塾長の格で塾生を監督し、時々行状を大阪の「出資者」(――と豹一は呼んでいた――)に報告するだけだった。塾生の外に賄夫婦がいるだけで、昔通りの合宿所とたいして変りはなかった。が、掟だけは厳しい。
例えば塾生は絶対に塾以外の飲食を禁じられている。学校のホールで珈琲ものめない。無論昼食は持参の弁当である。それも一人々々が持参するのではなく、十人分の飯を入れた櫃と、菜をいれた鍋を登校の際交替で持って行くのである。豹一は風呂敷に包んだ櫃を背負うて行く学校までの道が、あの質屋からの帰り道よりも辛かった。
それもたとえば短艇部の合宿生が面白半分に担いで行くのだったら、いや味な無邪気振りながら、未だ
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