人の眼にはましだ。しかし、学資を支給されている塾生がそれを担いで行くのは、まるで犬が自分の食器をくわえて歩いているようで浅ましく恥しい。「出資者」の好みだろうが、まるでそれは、「俺は施しを受けているのだ」という宣伝のようだった。塾生がホールへ顔出ししないということで、あいつらは聖人面の偽善者だという眼で見られていることに気が付くと、豹一はある日敢然としてホールで珈琲をのんだ。
 尚、塾生の夕飯後の散歩は一時間と限られていた。午後七時以後の外出は、だから特別の事情のない限り許されぬのである。
(この掟を破る義務があるかも知れない!)吉田山の山道を歩きながら、豹一はふとそう思った。すると、異様に体が顫えて来た。何か思い切ったことをする前のあの興奮だった。
(しかし、なぜそんな義務があるのだろうか?)
 未だそれを実行する勇気が出なかったから、彼は詭弁めいてそんな疑問を発した。偽善者と言われている他の塾生と同列に見られたくないからだろうか? それとも主人に尾を振るのがいやなためか? 塾長の機嫌を取りたくないためだろうか? ――この考えは彼の気に入った。ともあれ彼は「出資者」への感謝ということ
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