だ。安二郎はその家が借家ではなく、そこの不動産だと確かめると、それを抵当に貸し付けた。その金がいつの間にか二千五百円を出る位になった。隣近所でも容赦はせぬと、安二郎は執達吏を差し向けて、銭湯へ出掛けた。万年筆屋が銭湯へ呶鳴り込んで来たが、安二郎は、「あんた、人の金ただ借りれると思たはりまんのか」と頭にのせた手拭をとってもう一つ小さく畳むと、また頭の上にのせた。その晩万年筆屋は立ち退いた。安二郎はこの間口一間の家を改造するために、大工を雇ったのである。
先ず二階の壁を打っ通して扉をつくり、自分の家の二階とそこの四畳半の部屋との間を廊下伝いに往来出来るようにした。階段はそのままに残して置き、店の間の土間にはただテーブルを一個と椅子二個ならべ、テーブルの上にはベルをそなえつけて、「御用の方はこのベルを押すこと」と、無愛想な文句をかいた紙きれをはりつけた。入口には青い暖簾をかけて、「金融野瀬商会」
べつに看板を掛けた。それには、
「恩給・年金立て替え
貯金通帳買います
質札買います」
恩給・年金の立て替えはべつとして、あとの二つは目新しい商売だった。貯金通帳を買うとは、つまり例えば大阪貯蓄などに月掛けしているものが、満期にならないうちに掛けられなくなったり、満期になったが、金を取るまでの日数を待ち切れなくなった場合、安二郎がそれを相当の値で買いとってやるのである。掛け金の額からは無論がちんと差引くから、あとでゆっくり安二郎が手続きして金をとればぼろい儲けになると、かねがね目をつけていた商売だった。
質札の方は、ただの二円、三円で買いとってやるのである。それをもって安二郎がうけ出しに行き、改めて古着屋や古道具屋へ売る。質札の額面五円の着物ならば、古着屋へは十二、三円から十五円、二十円にも売れる故、質屋へ払う元利と質札を買った金を差引いても、残りの利益は莫大だった。貧乏人の多い町で、よくよく金に困って、質草もなくただ利子に追われている質札ばかり増えるのを持て余している者がちょっとやそっとの数ではあるまい。だから目先のことだけ考えれば、どうせうけ出しも出来ぬ質札が金になるときけば有難がってやって来るだろう。その足許を見て二束三文で買いとってやるのだと、随分前から安二郎は此の商売をやりたがっていたのである。
ところが現在の家ではさすがにその商売は出来なかった。高利貸めいてひっそりと奥深く、見知らぬ人の出はいりにもじろりと眼を光らせねばならぬしもたやでは出来ぬ商売だった。そんなところへ安二郎の言葉を借りて言えば、「運良く隣の家が空《あ》いた」のである。
東西屋も雇わず、チラシも配らず、なんの風情もなくいきなり店開きをしたのだが、もうその日から、質札を売りに来た。ベルの音が隣の家まで通ずる仕掛になっている。安二郎はのっそりと腰を上げて廊下伝いに新店の二階へ出て、階段を降り、夏の土用以外に脱したことのない黒い襟巻を巻いた顔をぬっと客の前へ出すのだった。じろりと客の顔を見て椅子に腰を掛け、客には坐れとも言わずに質札を虫眼鏡で仔細に観察してから、質屋の住所と客の住所姓名を訊く。終ると、「金は夕方取りに来とくなはれ」と無愛想に言って、腰を上げると、取つく島のない気持でぽかんとしている客の顔を見向もしないで階段を上り、再び廊下伝いにもとの部屋に帰ってしまうのである。
豹一は学校から帰ると、その応待をやらされた。実はこんどの二階の部屋は豹一の部屋になったのである。安二郎の鼾が聴えて来ないことは有難かったが、ベルの音には閉口した。勉強の途中でも立たなければならなかったのである。そして客から質札を受け取ると、安二郎に見せに行く。それがたまらなくいやだった。どうしても安二郎と物を言わなければならぬからだった。なるべく安二郎とは口を利かぬようにしていたのである。
(自他ともにその方が得だ)と考えていた。自分も不愉快だから、安二郎も自分と口を利くのは不愉快だろうと、彼は口実をつけていた。しかし、安二郎は豹一をただお君が連れて来た瘤ぐらいに考えていたから、豹一の子供だてらの恨みなどには無縁だった。少くとも豹一が考えているほどには、豹一の気持など深く考えていなかった。自分の事をどう思っていようと、飯はあんまり食わぬようにしてくれさえすれば、べつに文句はないのである。中学校での行状がどうであろうとも、学資を出してやっているわけではない。ただ近頃はやっと家の用事に間に合うようになって、「猫の子よりまし」なのである。例えば、客の応待はしてくれる。質屋への使いに行ってくれる。
その質屋への使いだけは勘弁してくれと、豹一は頼みたかった。が、そのためには安二郎に頭を下げる必要がある。それがいやだった。豹一はむっとした顔で、渋々質屋へ行った。丁度運悪く紀代子のことで
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