ましいほどの図太い神経だと、業者もあきれたのも無理はなかった。
図太い神経だけではなかった。執拗な押しの強さもあった。細かい頭の働きもあった。それでなければ、いくらなんでも村口多鶴子にうんといわすことが出来なかった筈である。全くそうした事件がなくとも、キャバレエに出ることなど自他ともに想像も出来ないような女だった。附焼刃にしろ、教養のある女優といわれていた。知性の女優とよばれていた。それゆえに人気もあり、また事件も一層大袈裟に騒ぎ立てられたのだ。事件のあとで歌など作っていた。だから、けっして彼女から、売り込んだ話ではない。わかりきったことである。佐古が持って行った話だ。当然のこととして、彼女ははねつけた。泪を流した恨めしそうな眼で、じっと佐古をにらんだのだ。普通の神経をもった男なら、それきりで諦めた話だった。ところが佐古にはそうしたものが欠けていた。
「あんたの人気を維持するためじゃおまへんか、それに、いま引っ込んでしもては、一生女優として立てなくなりまっせ。なにも、いつまでも居て貰おうとは思てしまへん。ここでの話でっけどな、うちの経営者が△△キネマを買収する計画を樹てていますねん。こら誰にも言わんといとくれやすや、その暁はあんたに一枚看板になって貰わんならん。芸術映画ちゅうもんをやりまっさかいな、どうしてもあんたみたいなひとに出て貰わんならんのや。つまりやな、あんたは△△キネマの舞台挨拶にでも出るのや思てくれはったら、よろしおまんねん」
こうした嘘八百のことを佐古は前後四、五回にわたって、徐々に彼女に説明したのだ。彼女の映画界復帰の夢に希望をもたせたところはさすがであった。佐古は彼女を説き伏せるために、あらゆる手段をえらんだ。彼女の老いたる母親は何のことかわからぬ理由で、白浜温泉へ招待されたりした。女中のところへ身分不相応の品物がデパートから届けられた。母親、女中と三人ぐらしの彼女の生活費は、最近切り詰めてはいても、やはり相当な額だった。かつての人気女優の生計の苦しさというものは切ないものだったが、しかしこれも二ヵ月にわたって、「オリンピア」の会計が無理矢理に彼女の手に渡した。その額は女中の見積りによるもので、多くもなし、少なくもなし、全くあきれるほどの正確な額だった。
そうまでされては、彼女ももはや断り切れなかった。むろん、頼みもしないのに、いや、それどころかそんな理由のない金は受け取れぬと、ヒステリックに拒み続けていたのに、まあ、まあと無理に渡されたのだから、彼女は腹を立てていた。しかし、そうした佐古のやり方も、もしこれが教養のある人間がやったことだったなら、彼女のなかにある教養がそれに反撥したことであろうが、佐古のような人間がやったのであってみれば、彼女も顔を赧らめることが少しで済んだ。こういう下卑た人間の前では、女というものは、異国人の前に於けるように、いくらか羞恥心を忘れるものであろうか。ともあれ、彼女は佐古のやり方にだんだん馴れて来て、そんなに腹も立てなくなった。むしろ佐古をさげすみ、微笑を以て佐古の勧誘の言葉をきくようになった。佐古は遂に成功した。
二ヵ月にわたる口説き落しの努力が報いられたので、さすがの佐古も余程嬉しかったと見えて、自祝の意味もあり、多鶴子がいよいよ「オリンピア」に現れる晩、それは昨夜だったが、燕尾服を着用したのである。おまけに佐古はこともあろうに、多鶴子とおそろいの真紅の薔薇を、燕尾服の胸にぶら下げたのである。しかし、誰もこれを莫迦莫迦しいこととも思わなかった。いや、注意すらしなかった。人々は美しい村口多鶴子にすっかり惹きつけられてしまい、ある者は感嘆の余り異様に興奮し、佐古なんかに注意をはらう余裕なぞてんで無かったのであった。
大成功だった。彼女を招聘するために佐古が惜し気もなく使った機密費の額に最初文句をつけ通しだった経営者も、純白のイヴニングの裾さばきも軽やかな、匂うばかりの村口多鶴子を見た途端、慾も得も忘れてしまった。いや、それを想い出したところで、客止めの盛況を見ては、文句のなかったところだ。
「良え女子《おなご》を入れてくれたな」経営者は佐古に一言だけ感謝の言葉を与えた。
この一言がしかし佐古をぎくりとさせた。経営者の眼は多鶴子の胸から腰へ執拗に注がれていた。音を立てるような視線だった。(覘《ねろ》てけつかる)佐古はすっかり狼狽してしまった。
実は佐古が村口多鶴子を「オリンピア」に招聘するために涙ぐましいほどの努力をはらったのは、慾得をはなれた考えからであった。電機工をしていた頃、彼の菜っ葉服のポケットには村口多鶴子のプロマイドがはいっていたこともあった。といって、はじめのうちはべつに取り立てて彼女ひとりに憧れていたわけではない。たいていの美しい女優ならいちように心
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