に出るのは適当じゃないと思いますので、なるべく社内でやるような仕事をしたいと思います」正直な言葉だった。
「内勤か?」編輯長は不機嫌に口をとがらした。
「内勤はいま一杯ふさがっとる。校正やったら一人欠員があるけど――」校正と聞いて、豹一はぞっとした。畳新聞社で二年間毎日やっていた校正の辛さが想出された。豹一はあわてて言った。
「外勤でも結構です」
「――そうか。そんならひとつ気張ってやってんか。――そんなら今日はこれで帰って良えぜ。あした朝九時に来てんか。いま皆外へ出てるよって、あした皆に紹介することにしよう」
豹一ははっとした。じつは面会の時間は九時と通知されていたのだが、例の癖で一時間以上遅れたのである。それを一言も咎めなかった編輯長に、豹一は好感をもった。
「じゃあ、あした来ます。九時ですね」
「そうしてエ」
局長室を出た途端に、豹一は、「やあ」と、声を掛けられた。筆記試験の時壇上で妙な演説をやった男だった。
「君、入社したんですか」
「はあ」
「今日は用事ないんでしょう?」
「はあ」
「あったって構わん。お茶のみに行こう」男はさっさと階段を降りて行った。豹一もうしろからついて行った。
社の表に一人の男が空を仰いで突っ立っていた。
「今日の天気はどないです?」豹一の連れの男はそう声を掛けた。
「さあ、雪でんな」空を仰いでいた男が言った。
「降りますかね」
「降りまんな」
社の近くの喫茶店に落着くと、男は、
「いまの男は販売部長や。天気予報の名人やと自称しとるらしいが、満更当らんわけでもない。毎日空模様を見て、その日の印刷部数をきめるのがあの人の仕事でね。雨が降ると、立売が三割減るからね、なかなか販売部長も頭を悩ますよ。雪か。雪なら四割減るかな。――君傘は? ……傘いるよ」と、ひとりで喋った。「何をのむ?」
「珈琲で結構です」
「遠慮しなさんな、君に払わさんというわけでもないからね」にやりと笑って、「おい、珈琲二つと、トーストパン二つ!」と、注文した。
珈琲とパンが来ると、男は、
「やり給え」あっけにとられて豹一が珈琲を啜っていると、「不味いだろう? ここの女の顔もそうだがね」
そんな男の調子に圧倒されそうになったので、豹一はわざと図太い態度で、じろじろ女の顔を見廻し、なるほどねという顔をした。すると、いきなり、
「そうじろじろ見るなよ」男の声が来た。豹一ははっと赧くなったが、実は豹一に言ったのではなかった。
「おい、美根ちゃん、そんなにおれの顔を見ないでくれ!」
「まあ、失礼!」
「監視せんでも良えぞ。勘定はこの人が払ってくれる。食逃げはせんからね。いつものようには……」
そして、豹一に、「君、勘定を払ってもらった上にはなはだ恐縮だが……」しかし、ちっとも恐縮しているような態度は見せず、にやにやと顎をなでていたが、いきなり、「金を貸してくれ」と、言った。
ずり落ちそうな眼鏡のうしろで、細い眼をしょぼつかせている外観から想像も出来ない、まるで斬り捨てるような言い方だったから、豹一はあっと駭いたが、しかし、さすがに直ぐに言葉をかえして、「いくら?」と、訊いた。
「五十銭で良えです」しかし豹一が財布をあけるのを見て、「一円にして貰おうかな」
結局三円とってしまうと、男は、
「金を借りたからというわけではないが、とにかく自己紹介して置こう。僕は社会部の土門です。土に門と書く。ツチカドとよむのが正しいが普通ドモンとよばれている。ども[#「ども」に傍点]ならんというわけやね」下手に洒落のめした。豹一は土門の言葉の隙間へ、
「僕毛利です。どうかよろしく」と、小さく挨拶を割り込ませた。
「あ、毛利君ですね? 払いますよ毛利君この金は……。但し一年以内に……。時々催促して下さい」にこりともせず土門は言った。豹一は莫迦にされているような気がしてむっとしたが、しかし相手はそんな表情を、可愛い若武者だとながめながら「僕は君が気に入ったよ君の貸しっ振りはなかなか良いところがあるよ」一層豹一を怒らせてしまった。「いや、実際の話が、何が気持良いといっても、金を借りる時相手に気前よく出されるほど気持の良いものはないね。たとえ五十銭の金にしたところがだね、気持よく、ああ、あるよと出された五十銭ってものは、あんた、なんですよ、九十八円ぐらい遊んだほどの値打があるからね」
「金の話はよしましょう」豹一はだしぬけに言った。高利貸をしている安二郎のことが頭に泛んだせいもあった。
「あ、そう」土門はあっさりとしたもので、「じゃ、仕事の話をしようではないか。君は社会部だね。じゃ、僕と同じだ。どうせ、僕が当分君の仕事を見てあげることになるんだろうが、――なんといっても僕は社会部では古参だからね。部長よりも古い。というのは、つまり僕は部長になる資格がな
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