てだった。深くは気にかけなかったが、しかし犬の遠吠をきいていると、戸外の寒さが想いやられた。安二郎がけちだから、ほんのちょっぴり炭火をいれているだけだったが、それでも家の中はさすがに温みはあった。
 安二郎は背中を猫背にまるめて、しきりに算盤をはじいていた。算盤をはじいているときほど楽しいことは、またとないのだ。ことにそれが女房に貸しつけた金の元利計算と来ては、ぞくぞくするほどたまらない。夜のふけるのも知らなかった。しかし、繰りかえし計算したあげく、安二郎はおやと、不安になった。安二郎はお君の仕立賃のほか、最近は豹一がお君に渡す月給の幾割かをも右左にまきあげていたので、正直な計算によれば、もはや取るべきものはすっかり取ってしまったどころか、取り過ぎている勘定になっているのだった。安二郎は狼狽した。これ以上お君の手から取りあげるのは不正所得なのだ。われながらも浅ましいほど高い利率を課して来たのに、もうすっかり返済されているとは、なんとしたことか。かえすがえす残念だった。安二郎は自分の計算を疑った。もう一度おそるおそる計算してみた。同じことだった。この上は不正所得であろうとなかろうと、欺して取るより仕方がないと、安二郎は覚悟を決めた。しかし、お君は欺せても、豹一の眼はいまいましいほど鋭い。
「えらい冷え込んで来ましたな。炭つぎまひょか」お君が言った。
「なに言うねん。もったいない。きょう日炭一俵なんぼする思てるねん」
 安二郎は痔をわずらっているので、電気座蒲団を使っている。その電気代がたまったものではない。尻に焼けつく思いがするのだ。それを想えば、この上灰にしかならぬ高価い炭をうかうかと使うてなるものか。
(寒いといえば目茶苦茶に炭をつぎやがるし、暑ければ暑いで、目茶苦茶に行水しやがるし、どだいこのおなごの贅沢にも困ったもんや)
 行水をするとき、お君は相変らず何度も水を浴びた。湯気の吹き出た白い体にサッと水が咆り掛って、弾み切った肢体がすくっと立つ――そのなまめかしさを安二郎はたびたびうっとりと愉しむのだったが、やはり、消費される水のことを想えば胸が痛むのだった。水ならまだしも、炭と来てはまるで紙幣を焼いているようなものだ。僅かにお君の肌のほてるような温もりが安二郎の悲しい心を慰めるのだった。寒中炬燵なしでどうにか凌げるからだった。さすがに老齢で、足はチリチリと冷えるが、それも足袋をはいて寝れば、いくらか我慢が出来る。
(しかし、あの餓鬼は若い身空で贅沢に炬燵をいれてけつかる)安二郎はひょんなところでふと豹一のことを想い出した。(たかが炭団代というても莫迦にはならんぞ!)
 一月いくらになるだろうかと暗算して、なるほど莫迦にならぬと思った途端に突如として安二郎の頭に名案が閃いた。炭団代を豹一に払わせるのだ。今まで費した金ばかりに気をとられていて、「実費」を支払わせることが思いつかなかったのは、なんとしたことかと、安二郎は自分のうかつさをののしった。
 安二郎は再び算盤をはじき出した。先ず炭団代何十銭也といれた。間髪を入れず、水道代何十銭、次に電気代は何円何十銭也……。安二郎はにやりと笑った。取るべき実費はいくらでもあるではないか。食費何円何十銭也、部屋代何円何十銭也、――今月からは〆めて何十何円何十銭也を豹一に払わせるのだと、算盤の音は活気を帯びた。われながらうっとり出来る高額だったので、安二郎は今月から取りはじめるのはなんとしても惜しいと、いろいろ考えたあげく、子供の時分からの養育費を取るべきだという結論に達した。しかし、さすがの安二郎もそれは余り残酷だと思ったので、豹一が月給を取るようになってからの分を取ることに負けてやろうと、結局そこへ「手を打つ」ことにした。幾分の思いやりだった。その代りこれまでの分は利子をつけることにした。
 安二郎は余りの幸福さにわれを忘れてしまったので、
「お君!」と、思わず女房の名を呼んだ。しかし、べつに改めて言うべきこともなかったので、咄嗟に考えて、用事を吩咐ることにした。
「電気座蒲団の線はずしてんか」自分で立ってはずすと、その間座蒲団の温もりから尻を離さねばならない。それが惜しいのだ。
「よろしおま」お君は立ってコードをはずした。だんだん座蒲団の温もりがさめて行った。すっかり冷たくなってしまうと、安二郎はやっと尻をあげた。途端に痔の痛みが来た。
「あ、痛、痛、あ、痛ア!」
 尻を突きだしたじじむさい中腰で寝床の方へ歩いて行きながら、安二郎は、
(誰がなんちゅうても豹一から下宿代を取ってこましたるぞ)と、力んだ。(取る権利が無いとは言わせんぞ。そや。おれはあいつの親や。親ならどんな権利でもあるネやぞ)安二郎はこれまで豹一を負債者とばかり考えていたので、実は豹一が、息子であることにうっかりして
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