いたのだった。(親やったら息子の儲を取るのは、こら当然や。あ、痛、痛! あいつはもう一人前の月給取やさかい、父親には下宿代を渡さんならん義務があるネや。それぐらいあいつでも知ってくさるやろ。高等学校まで行きやがって、それ知らんのやったら、こら学校の教育方針がわるいネやぞ)
安二郎は豹一がいまは一人前の月給取であることに、父親の顔で悦に入った。
丁度その時、戸外にしょんぼりした足音がして、今日失業したばかりの豹一が帰って来た。道頓堀の勝に撲り倒された屈辱をもて余して、当もなく夜更の街をさまよい歩き、もう十二時近かった。
豹一は安二郎の寝巻姿を見て、途端に胸が塞がった。安二郎の着物を畳んでいる母の姿が眼に痛かった。
「どないしてん? えらい遅かったやないか」お君が言ったが、豹一は返辞をせず、さっさと二階へ上ってしまった。むろん安二郎にも挨拶一つしなかった。
そんな豹一にお君はふっと取りつく島のない気持を感じたが、しかしお君はそれを苦にもせずえらい物言わずの子やなあと、ただそれだけだった。しかし、豹一の寒そうな後姿を見て、
(オーバーたらいうもん買うてやらんならん)
この頃針仕事の賃を、安二郎の言うままに渡して来たことを、お君はちょっと後悔した。
(内緒で銭を蓄めんならん)長い睫毛のうしろで綺麗な眼の玉をくるりくるりまわしながら、針箱の抽出へこっそり隠すべき一円紙幣や五十銭銀貨を頭に描いた。(オーバーてなんぼ程するのやろか)
しかし、安二郎が声を掛けたのでお君はその思案を中絶しなければならなかった。そして、白い炬燵になった。
豹一は二階で長い欠伸をしていた。精も張もない長い欠伸を虚ろに吐き出している自分がさすがに情けなく、乱暴に洋服を脱ぎ捨てた。そして、蒲団のなかへもぐり込んだ。炬燵が入れてあった。ふっと温いものが足から眼に来た。その拍子に、母親に返辞一つしなかった自分の態度がチリチリ後悔された。
失業したときかすのがいやで、わざと口を利かなかったのだとは、この際良い加減な弁解だった。つまりは、理由もなく口を利く気がしなかったのだ。今日にはじまったことではない。日頃から豹一は安二郎のいる前では母親につとめて口利かず、そんな習慣が出来てしまっていることをひそかに詫びる気持をもちながら、どうすることも出来なかった。そのたび、何か済まない、済まないと思うのだったが、しかし今夜ほどそれが胸をしめつけたことはなかった。気の弱りだろうか、豹一はシンと鼻に泪がたまって来た。
思えば今日の豹一は、たしかに泣きたくなるほどみじめだった。しかし、それだからとて、こっそり泪を流すとは、日頃の豹一の流儀から言えば、だらしがないのだった。そんな気の弱まりは、かねがね自分には許してない筈だ。しかし、さすがの豹一も母親の顔を見た途端に、徹頭徹尾心の張りをなくしてしまい、失業のことが針のように感じられたのだった。自他ともに颯爽としていた筈の今日の失業も、にわかにみじめになってしまったのである。
母親が入れてくれたのだと思えば、炬燵の温もりが痛いほど感じられて、豹一は思わず、
「えらいことをしてしまいましてん。失業しましてん。えらい済んまへん」ぶつぶつと声を出して呟いた。
すっかり気が滅入ってしまった豹一は、誰も見ていないので、もうやけにだらしなく泪を流し、しまいに悔恨の気持が妙に動物的なものになってしまって、こつこつと頭を敲きはじめた。しかし、その動作が豹一にふと、道頓堀の勝に撲られたことを聯想させた。すると、豹一ははじめて決然として来た。あわてて泪をこすると、豹一はいきなり狂暴な表情になり、弥生座の裏路次でぶざまに倒れていた自分の姿を想い出した。
朝、安二郎は豹一の起きて来るのを待って、
「なあ、豹一」珍らしく自分から話しかけた。
「あのな、……」
以下の言葉はここに写すまでもあるまい。豹一の答は頗る簡単だった。
「よろしい。欲しいだけ取って下さい。なんなら月末に請求書を出してもらいましょうか」さすがに声は顫えていた。が、請求書という巧い言葉を思いついたので、豹一の興奮はいくらか静まった。
しかし安二郎は請求書ときいて、飛び上らんばかりに喜んでいた。こんなに簡単に、いざこざなしに話がつくと思っていなかったから、余り話がうますぎると、ちょっぴり不安に思ったぐらいだった。
「用談」が済むと、豹一はいつものように畳新聞社へ出勤する顔で、さっさと家を出た。夕方帰って来た豹一は、しかし昨日のままの失業者に過ぎなかった。
三
凍てついた道を寒風が吹き渡っていた。豹一は寒そうに身を縮めたしょんぼりした恰好で、街から街へ就職口を探して空しく、歩きまわっていた。
昭和十六年の常識からはちょっと考えられぬところだが、当時は、大学出の青
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