と、承知せえへんぞ! ええか、おい、ちょっと男前や思て、ひとのスメ(娘)に手エ出しやがって、それで済む思てけつかんのか、おれを誰や思てけつかんのや、道頓堀の勝いうたら、お前みたいな、へなちょこの軟派とちょっと違うネやぞ。――さあ、どやしたるさかい、面を出しくされ!」
しかし、道頓堀の勝の手が伸びて来るまで、少し間があった。そのため豹一はすっかり焦れていたので、いよいよ道頓堀の勝の拳骨が飛んで来た時、待ってましたと思ったぐらいだった。
「待ってました!」
弥生座の舞台にレヴュー「銀座の柳」の幕が上った途端、二階の客席からそう奇声があがった。
「東銀子頑張れ!」
知らぬ人は、東銀子とは舞台の前方へ一人抜け出してチャールストンを踊っている主役の踊子だと、思ったかも知れぬ。が、実は後列の隅の方で沢山の踊子にまじって細い足を無気力にあげている胸の薄い少女が、東銀子だった。
「銀ちゃん、頑張って頂戴」
声のする方を見あげて、銀子は、あ、北山さんだと、手をあてた腰を動かしながら、ふっと泪が落ちそうになった。いつの間にまぎれ込んだのか、二階の客席でしきりに銀子の名をよんでいるのは、文芸部の北山だった。
昭和…年頃のあやしげなレヴュー団によくあった例だが、そのレヴュー団、ピエロ・ガールスではたいていの踊子たちは入団した途端に女にされてしまう。そのたび、文芸部の北山はものの哀れを感じたといって、泥酔してしまうのだった。
東銀子は十七歳、一月前に入団したとき、その少年のような胸を見て、北山は男優一同に、
「此の子にさわるでねえぞ!」と常にない凄んだ声で駄目を押した。
「するてえと、バッカスの旦那が、泡盛の肴に生大根を囓るって寸法ですかい」
北山は先生とはよばれず、バッカスの旦那で通っていた。未だ三十五、六だが、浅草にいた頃の電気ブラン、浅草から千日前へ崩れて来てからの泡盛のために頭髪がすっかり禿げあがって、爺むさかった。
「莫迦野郎! おれは小便臭いのは此の小屋の臭いだけで充分だ」
そうはいったものの、しかし間もなく起った「北山老人は東銀子にプラトニックラブを捧げている」という噂を、北山自身敢て否定しなかった。そう思わせて置く方が銀子をまもるためにも良いのだと、つまり北山もいつかその噂を否定しがたい気持になっていた。毎夜小屋がハネると、南海通の木村屋喫茶店へ銀子を連れて行った。銀子は、
「北山さんはお酒のむから、きらいやわ」
北山をげっそりさせた。
噂によると、これまでどの女優にもそんなことをしなかった品行方正の北山が、舞台稽古の時たまりかねたのか、銀子をわざわざ舞台裏へ連れ込んで、永いこと銀子の頭に手をのせていたということである。銀子は随分いやがっていたということである。北山はすっかり面目をなくした。
しかしそんな噂のおかげで、そしてまたしょっちゅう銀子の身辺から眼を離さなかったおかげで、銀子はどうやら此の一月無事だった。
ところが、昨夜徹夜で舞台稽古をしたとき、北山は不覚にも泡盛に足をとられて、千日前の金刀比羅の境内で打っ倒れていた。その隙に、銀子は誰かに女にされてしまった。と、知ると、北山はやけくそになって朝っぱらからの迎酒に泥酔したあげく、ふらふらと二階の客席にまぎれこんで、しきりに銀子の名を呶鳴り出したのだった。
頭の上まで足をあげながら、銀子は身が縮む想いだった。
「銀ちゃん、頑張れ、頑張れ!」
北山は立ち上って銀子の踊りに合わせて、あやしげな身振りで踊りだした。どっと、笑い声が起った。見物人は舞台より二階の余興の方に気を取られてしまった。
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ジャズで踊って、リキュルでふけて、
明けりゃダンサーの涙雨
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北山はしわがれた声で歌い出した。踊子たちはくすくす笑い出した。しかし、銀子は笑えなかった。踊りが済むと、銀子は楽屋へ駆け込んで、窓側にしょんぼり坐った。次の幕の衣裳をつける気もしなかった。泣けもしない顔を窓にくっつけていると、
「銀ちゃん、何してるの?」寄って来た踊子は、ふと路次を見て、「あら、誰や倒れたはるわ。銀ちゃん、見て御覧」
銀子はいきなり子供のように声をあげて、
「みんな来て御覧! 誰や倒れてはるし」
どやどやと窓側に寄って来た。
「ほんに。――喧嘩やろか」
豹一はしょんぼり立ち上って、すごすご路次を出て行った。道頓堀の勝はとっくに姿を消していた。
二
薄暗い電燈の下で、お君は仕立物の針仕事をしていた。
下寺町の坂を登って来る電車の音や、表を通る下駄の音は凍てついた響きに冴えて、にわかに夜が更けたようだった。お君は針の目に糸を通しながら、豹一の帰りのおそいのを想った。夜業でおそくなることもあるが、しかしこんなにおそいのははじめ
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