った。
 十二月二十五日の夜、やっと大阪駅まで辿りついたが、さてこれからどこへ行けば良いのか、その当てもない。昔働いていた理髪店は恐らく焼けてしまっているだろうし、よしんば焼け残っていても、昔の不義理を思えば頼って行ける顔ではない。宿屋に泊るといっても、大阪のどこへ行けば宿屋があるのか、おまけに汽車の中で聴いた話では、大阪中さがしても一現《いちげん》で泊めてくれるような宿屋は一軒もないだろうということだ。良い思案も泛ばず、その夜は大阪駅で明かすことにしたが、背負っていた毛布をおろしてくるまっていても、夏服ではガタガタ顫えて、眼が冴えるばかりだった。駅の東出口の前で焚火をしているので、せめてそれに当りながら夜を明かそうと寄って行くと、無料《ただ》ではあたらせない、一時間五円、朝までなら十五円だという。冗談に言っているかと思って、金を出さずにいると、こっちはこれが商売なんだ、無料《ただ》で当らせては明日の飯が食えないんだぞと凄んだ声で言い、これも食うための新商売らしかった。大人しく十五円払うと所持金は五十円になってしまった。
 夜が明けると、駅前の闇市が開くのを待って女学生の制服を着た女の子から一箱五円の煙草を買った。箱は光だったが、中身は手製の代用煙草だった。それには驚かなかったが、バラックの中で白米のカレーライスを売っているのには驚いた。日本へ帰れば白米なぞ食べられぬと諦めていたし、日本人はみな藷ばかり食べていると聴いて帰ったのに、バラックで白米の飯を売っているとはまるで嘘のようであった。値をきくと、指を一本出したので、煙草の五円に較べれば一皿一円のカレーライスは廉いと思い、十円札を出すと、しかし釣は呉れず、黒いジャケツを着たひどい訛の大男が洋食皿の上へ普通の五倍も大きなスプーンを下向きに載せて、その上へ白い飯を盛り、カレー汁を掛けるのだった。スプーンが下向き故皿との間に大きな隙間が出来る。その隙間の分だけ飯を節約してあるわけだと、狡いやり方に感心した。バラックを出ると、一人の男があのカレー屋ははじめ露天だったが、しこたま儲けたのか二日の間にバラックを建ててしまった、われわれがバラックの家を建てるのには半年も掛るが、さすがは闇屋は違ったものだと、ブツブツ話し掛けて来たので相手になっていると、煙草を一本無心された。上品な顔立ちで煙草を無心するような男には見えなかった。
 しかし、掌の上へひろげた新聞紙にパンを二つ載せて、六円々々と小さな声でポソポソ呟いている中年の男も、以前は相当な暮しをしていた人であろう、立派な口髭を生やしていた。その男の隣にしゃがんでいる女は地面《じべた》に風呂敷包みをひろげて資生堂の粉ハミガキの袋を売っていた。袋は三個しかなく、早朝から三個のハミガキ粉を持って来て商売になるのだろうかと、ひとごとでなく眺めた。自分もいつかはこの闇市に立たねばならぬかも知れぬのだ。親子三人掛かりで、道端にしゃがみながら、巻寿司を売っているのもいた。
 闇市を見物してしまうと、新世界までトボトボ歩いて行ったが、昔の理髪店はやはり焼けていた。焼跡に暫らく佇んで、やがて新世界の軍艦横丁を抜けて、公園南口から阿倍野《あべの》橋の方へ広いコンクリートの坂道を登って行くと、阿倍野橋ホテルの向側の人道の隅に人だかりがしていた。広い道を横切って行き、人々の肩の間から覗くと、台の上に円を描いた紙を載せて、円は六つに区切り、それぞれ東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸の六大都市が下手な字で書いてある。台のうしろでは二十五六の色の白い男が帽子を真深《まぶか》に被って、
「さア張ったり張ったり、十円張って五十円の戻し、針を見ている前で廻すんだから絶対インチキなしだ。度胸のある奴は張ってくれ。さア神戸があいた、神戸はないか」と呶鳴っている。
 誰かがあいていた神戸の上へ十円載せると、呶鳴っていた男は俄かづくりのルーレットの針を廻す。針は京都で停る。紙の上の十円札は棒でかき寄せられ、京都へ張っていた男へ無造作に掴んだ五枚の十円札が渡される。
「――さアないか。インチキなしだ。大阪があいた。大阪があいた」
 誰も大阪へ張る者がない。ふと張ってみようという気になった。ズボンのポケットから掴み出して大阪の上へ一枚載せた。針が動いた、東京だ。
「さアないかないか」
 もう一度早い目に大阪へ張った。が、横浜だ。
「――さアないかないか」
 残っていた五円札を京都の上に載せようとすると、
「五円はだめだ。十円ないのか。十円で五十円だ」と断られた。
 しかしポケットにはその五円札一枚しかなかったのだ。すごすご立去って、阿倍野橋の大鉄百貨店の横で、背負っていた毛布をおろして手に持ち、拡げて立っていると、黙っていても人が寄って来ていくらだときく。百円だというと、買って行っ
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