た。隣で台湾飴を売っていた男が、あの毛布なら五百円でも売れる、百円で売る奴があるかというのを背中で聴きながら、ホテルの向い側へ引き返し、大阪一点張りに張ってみたが、半時間もたたぬうちに百円が飛んでしまった。
帰りの道は夏服の寒さが一層こたえた。が、帰りの道といってもどこへ帰ればよいのか。大阪駅以外にはない。残っていた五円で焼餅を一つ買い、それで今日一日の腹を持たすことにした。駅の近所でブラブラして時間をつぶし、やっと夜になると駅の地下道の隅へ雑巾のように転ったが、寒い。地下道にある阪神マーケットの飾窓《ショウウインド》のなかで飾人形のように眠っている男は温かそうだと、ふと見れば、飾窓が一つ空《あ》いている。ありがたいと起きて行き、はいろうとすると、繩の帯をした薄汚い男が、そこは俺の寝床だ、借りたけりゃ一晩五円払えと、土蜘蛛のようなカサカサに乾いた手を出した。が、一銭もない。諦めて元のコンクリートの上へ戻ったが、骨が千切れそうに寒くて、おまけにペコペコだ。思い切って靴を脱ぎ、片手にぶら下げて、地下道の旅行調整所の前にうずくまって夜明しをしている旅行者の群へ寄って行き、靴はいらんか百円々々と呶鳴ると、これも廉いのかすぐ売れた、十円札にくずして貰い、飾窓へ戻り二晩分十円先払いして、硝子の中で寝た。昔馴染んだ飛田の妓の夢を見た。
夜が明けると、まず十円のカレーライス。はだしでは歩けないと八ツ割草履を買うと、二十円取られた。残った六十円を持って阿倍野橋へ出掛けたが、やはり大阪一点張りに張っているうちに、最後の十円札も消えてしまった。二晩分の飾窓の家賃を先払いして置いたのがせめてもの慰めであった。隣の飾窓で蝨をつぶしている音を聴きながら、その夜を明かすと、もう暮の二十八日、闇市の雑閙は急に増えて師走めいた慌しさであった。被っていた帽子を脱いで、五円々々。やっと売れたが、この金使ってしまっては餓死か凍死だと、まず阪急の切符売場で宝塚行き九十銭の切符五枚買った。夕方四時半から六時半まで切符は売止めになる。その時刻をねらって、売場の前にずらりと並んだ客に、宝塚行き一枚三円々々と触れて歩くと、すぐ売れてしまった。勘定すると五円の金が十五円五十銭になっていた。阿倍野橋へ行くにはもう時間が遅いし、何よりも腹がペコペコだ。バラックの天婦羅屋へはいって一皿五円の天婦羅を食べ、金を払おうとすると掏られていた。無銭飲食をする気かと袋叩きに会い、這うようにして地下道へ帰り、痛さと空腹と蝨でまんじりともせず、夜が明けると一日中何も食わずにブラブラした。切符を買う元手もなければ売る品物もない。靴磨きをするといっても元手も伝手《つて》も気力もない。ああもう駄目だ、餓死を待とうと、黄昏れて行く西の空をながめた途端……。
七
「……僕のことを想いだして、訪ねて来たわけだな」
「へえ」と横堀は笑いながら頭をかいた。今夜の宿が見つかったのと、餅にありついたので、はじめて元気が出たのであろう。
「電車賃がよくあったね」
「線路を伝うて歩いて来ましてん。六時間掛りました。泊めて貰へんと思いましたけど……」時計が夜中の二時を打った。
「泊めんことがあるものか。莫迦だなア。電車賃のある内にどうしてやって来なかったんだ」
「へえ。済んまへん」
「途中大和川の鉄橋があっただろう」
「おました。しかし、踏み外して落ちたら落ちた時のこっちゃ。いっそのことその方が楽や、一思いに死ねたら極楽や思いましてん」
そんな風に心細いことを言っていたが、翌朝冬の物に添えて二百円やると、
「これだけの元手《もと》があったら、今日び金儲けの道はなんぼでもおます。正月までに五倍にしてみせます」横堀はにわかに生き生きした表情になった。
「ふーん。しかし五倍と聴くと、何だかまた博奕にひっ掛りそうだな。あれはよした方がいいよ。人に聴いたんだが、あれは本当は博奕じゃないんだよ。博奕なら勝ったり負けたりする筈だが、あれは絶対に負ける仕組みだからね。必ず負けると判れば、もう博奕じゃなくて興行か何かだろう。だから検挙して検事局へ廻しても、検事局じゃ賭博罪で起訴出来ないかも知れない、警察が街頭博奕を放任してるのもそのためだと、嘘か本当か知らんが穿ったことを言っていたよ。まアそんなものだから、よした方がいいと思うな」
「いや、今度は大丈夫儲けてみせます」
と、横堀は眼帯をかけながら、あれからいろいろ考えたが、たしかにあの博奕にはサクラがいて、サクラが張った所へ針の先が停ると睨んだ、だから今度はまず誰がサクラと物色して、こいつだなと睨んだらその男と同じ所へ張れば、外れっこはないんだとペラペラ喋って、
「――ま、見てとくなはれ。わても男になって来ま」
そう言ってソワソワと出て行った後姿を二階の窓から見ると
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