の金を持ち逃げした。孤独の寂しさを慰めるために新世界とはつい鼻の先にある飛田遊廓の女に通っていたが、到頭金に詰ったらしかった。保証人の私はその尻拭いをした。
 ところが、一年ばかりたったある日、尾羽打ち枯らした薄汚い恰好でやって来ると、実はあんな悪いことをしたので「部屋」を追出されてしまった。「部屋」というのは散髪の職人の組合のようなもので、口入れも兼ね、どこの店で働くにしてもそれぞれの「部屋」の紹介状がなければ雇ってくれない、だから「部屋」を追いだされた自分はごらんの通りのルンペンになっているが、今度新しく別の「部屋」に入れて貰うことになったので非常に喜んでいる、ところが「部屋」にはいるには二百円の保証金がいる、働いて返すから一時立て替えて貰えないだろうかと言う。横堀は丈は五尺そこそこの小男で、右の眼尻の下った顔はもう二十九だというのに、二十前後のように見える。いつまでも一本立ち出来ず、孤独な境遇のまま浮草のようにあちこちの理髪店を流れ歩いて来た哀れなみじめさが、ふと幼友達の身辺に漂うているのを見ると、私はその無心を断り切れなかった。散髪の職人だというのに不精髭がぼうぼうと生え、そこだけが大人であった。商売道具の剃刀も売ってしまったのかと、金を渡すと、ニコニコして帰って行ったが、それから十日たったある夜更け、しょんぼりやって来た姿見ると、前よりもなお汚くなっていた。どうしたんだと訊くと、いや喜んで貰いたい、自分のような男にも女房《かかあ》になってやるという女が出来た、自分は少々歪んでても、曲っててもいい、女房《かかあ》になってくれる女があれば、その女のために一所懸命やろうと思っていたが、到頭その機会が来た、自分は今までの世の中に一人ぼっちだという寂しさからつい僻みが出てやけも起したが、これからは例え二階借りでも世帯を持つのだから、男になって働く覚悟だ、ついては結婚の費用に……と、百円の無心だった。女は何をしている人だ、仲居をしている。どこで。南で。南の何という店だ。大阪の南の料理屋の名前なら大抵知っているのでそう訊いたが、横堀は詰って答えられない。細君になるという人の勤め先を知らないようでは、結婚の費用は貸してあげないと言うと、じゃ今夜は終電車もないから泊めてくれと言う。
 翌朝横堀が帰ったあとで、腕時計と百円がなくなっていることに気がついた。それきり顔を見せなくなったが、応召したのか一年ばかりたって中支から突然暑中見舞の葉書が来たことがある。……
 そんな不義理をしていたのだが、しかし寒そうに顫えている横堀の哀れな復員姿を見ると、腹を立てる前に感覚的な同情が先立って、中へ入れたのだ。横堀の身なりを見た途端、もしかしたら浮浪者の仲間にはいって大阪駅あたりで野宿していたのではないかとピンと来て、もはや横堀は放浪小説を書きつづけて来た私の作中人物であった。
 茶の間へ上って、電気焜炉のスイッチを入れると、横堀は思わずにじり寄って、垢だらけの手をぶるぶるさせながら焜炉にしがみついた。
「待てよ、今お茶を淹れてやるから」
 家人は奥の間で寝ていた。横堀は蝨《しらみ》をわかせていそうだし、起せば家人が嫌がる前に横堀が恐縮するだろう。見栄坊の男だった。だからわざと起さず、紅茶を淹れ、今日搗いて来たばかしの正月の餅を、水屋から出して焜炉の上に乗せ乍ら、
「どうしてた。大阪駅で寝ていたのか。浮浪者の中にはいっていたのか」とはじめて訊くと、案の定へえとうなだれた。
「顔どうしたんだ」
「出入をやりましてん」左の眼を押えて、ふと凄く口を歪めて笑った。大きく笑うと痛いのであろう。
「出入って、博徒の仲間にはいったのか、女出入か、縄張りか」
 それならまだしも浮浪者より気が利いていると思ったが、
「闇屋の天婦羅屋イはいって食べたら、金が足らんちゅうて、袋叩きに会いましてん。なんし、向うは十人位で……」
「ふーん。ひどいことをしやがるな。――おい、餅が焼けた。食べろ」
「へえ。おおけに」
 熱い餅を掌の上へ転がしながら、横堀は破れたズボンの上へポロポロ涙を落した。ズボンの膝は血で汚れていた。横堀は背中をまるめたままガツガツと食べはじめた。醜くはれ上った顔は何か狂暴めいていた。
 私はそんな横堀の様子にふっと胸が温まったが、じっと見つめているうちに、ふと気がつけば私の眼はもうギラギラ残酷めいていた。横堀の浮浪生活を一篇の小説にまとめ上げようとする作家意識が頭をもたげていたのだ。哀れな旧友をモデルにしようとしている残酷さは、ふといやらしかったが。しかしやがて横堀がポツリポツリ語りだした話を聴いているうちに、私の頭の中には次第に一つの小説が作りあげられて行った。

      六

 中支からの復員の順位は抽籤できまったが、籤運がよくて一番船で帰ることにな
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