ると雑誌や新聞の記者がぞくぞくと詰めかけて来て、八畳の部屋が坐る場所もないくらいになった。彼等は居心地が良いのか、あるいは居坐りで原稿を取るつもりか、それとも武田さんの傍で時間をつぶすのがうれしいのか、なかなか帰ろうとせず、しまいには記者同志片隅に集って将棋をしたり、昼寝をしたりしていた。
 武田さんはそれらの客にいちいち相手になったり、将棋盤を覗き込んだり、冗談を言ったり、自分からガヤガヤと賑かな雰囲気を作ってはしゃぎながら、新聞小説を書いていたが、原稿用紙の上へ戻るときの眼は、ぞっとするくらい鋭かった。
 書き終って、新聞社の使いの者に渡してしまうと武田さんはほっとしたように机の上の時計を弄んでいた。机の上には五六個の時計があった。一つずつ手に取って黙々とネジを巻いているその手つきを見ていると、ふと孤独が感じられた。
 一つ風変りな時計があった。側は西洋銀らしく大したものではなかったが、文字盤が青色で白字を浮かしてあり、鹿鳴館時代をふと思わせるような古風な面白さがあった。
「いい時計ですね。拝見」
 と、手を伸ばすと、武田さんは、
「おっとおっと……」
 これ取られてなるものかと、頓狂な声を出して、その時計を胸に抱くようにした。
「――どうもお眼も早いが、手も早い。千円でも譲らんよ。エヘヘ……」
 胸に当てて離さなかった。浴衣の襟がはだけていて、乳房が見えた。いや、たしかに乳房といってもいいくらい、武田さんの胸は肉が盛り上っていた。
 そこへ、都新聞の記者が来て、
「満州へ行かれるんですか。旅行日記はぜひ頼みますよ」
「うえへッ!」
 武田さんは飛び上った。
「まず、満州へ行く感想といった題で一文いただけませんか」
「誰が満州へ行くんだい?」
「あなたが――。今日のうちの消息欄に出てましたよ」
「どれどれ……」
 と、記者の出した新聞を見て、
「――なるほど、出てるね。エヘヘ……。君、こりゃデマだよ」
「えッ? デマですか。誰が飛ばしたんです」
「俺だよ、俺がこの部屋で飛ばしてやったんだよ。この部屋はデマのオンドコだからね。エヘヘ……」
「オンドコ……?」
「温床だよ」
 そう言ってキャッキャッと笑っていた。間もなく私は武田さんの書斎を辞した。
 そして、四五日たったある夜、私は大阪の難波の近くの夜店で、武田さんの机の上にあった時計とそっくりの時計を見つけた。千
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