赤井はふと、
「聴いたような声やな」
 と、さすがに声の商売だけに、敏感だった。
「あッ、そうや。慰問で聴いた歌や」
 そう判った途端、赤井は何思ったかミネ子の手をひっぱって、大阪の放送局のある馬場町の方へかけ出して行った。
 丁度その頃、白崎もその放送を聴いていた。バラックにはもう、ラジオも電話もついていたのだ。父が声を掛けた。
「おい、第二放送に変えようか」
「いや、この方がいいですよ」
「歌はきらいだった筈だが……」
「あはは……」
 他愛なく笑って、「荒城の月」を聴いていたが、急に、
「お父さん、今日の新聞は……?」
「お前の膝の上だ」
「あッ、そうか」
 頭に手を当てて、膝の上を見て、ラジオ欄の「独唱と管弦楽、杉山節子、伴奏大阪放管」という所を見ると、
「杉山節子……? そうだ、たしかそんな名前だった。大阪放管? じゃ、大阪からの放送だ」
 と、呟いていたが、やがてそわそわと起ち上って、電話を掛けに行った。
「……もしもし、放送局ですか。実は今放送しておられる杉山節子さんに急用なんですが、電話口へ呼んで下さいませんか」
「うふふ……」
 交換手は笑って、
「放送中の人を、電話口に呼べませんよ」
「あッ、なるほど、こりゃうっかりしてました。もしもし、じゃ、杉山さんにお言伝けを……。あ、もしもし、話し中……。えっ? 電熱器を百台……? えっ? 何ですって? 梅田新道の事務所へ届けてくれ? もしもし、放送局へ掛けてるんですよ、こちらは……。えっ? 莫迦野郎? 何っ? 何が莫迦野郎だ?」
 混線していた。
「ああ、俺はいつも何々しようとした途端、必ず際どい所で故障がはいるのだ」
 と、がっかりしながら、電話を切ると、暫らくぽかんと突っ立っていたが、やがて何思ったのか、あわててトランクを手にすると、そわそわと出て行った。
 ノッポの大股で、上本町から馬場町まですぐだった。
 放送局の受付へかけつけた時、
「やあ。白崎はん、あんたも来やはりましたか」
 声を掛けたのは、赤井だった。
「やア。到頭トランクの主が見つかった」
 一階の第一スタジオの前のホールで放送の済むのを待っていると、階段を降りて来た演芸係長の佐川が、赤井を見つけて、
「おやッ、珍らしい。赤団治さんじゃありませんか」
 と、寄って来た。色の白い、上品な佐川の顔や、どこか済まし込んだその物の言い方には、赤井はさすがに記憶があった。
「やア、その節はいろいろと……」
 赤井は応召前、佐川の世話で二三度放送したことがあった。
「もう、落語はおやりにならないんでやすか」
「へえ。もうさっぱりやめました。やる気になれまへんねッ」
「はあ、そうでやすか。しかし、惜しいですな。どうです、一度放送してみませんか。新作ものを一つ……」
 仕事に熱心な佐川は、新しい芸人を見つけると、貪欲な企画熱をあげるのだった。頼み方はおだやかだが、自分の企画に悦に入っている執拗さがあった。
「いや、お言葉はありがたく頂戴しまっけど、どうも、人を笑わすいう気になれまへんので……」
 赤井がそう断ると、傍で聴いていた白崎はいきなり、
「君、やり給え! 第一、僕や君が今日の放送であのトランクの主を見つけて、かけつけて来たように、君の放送を聴いて、どこかにいる君の奥さんやお子さんが、君に会いにかけつけて来るかも知れないぜ」
 そう言うと、赤井の眼は急に生々と輝いた。
「それもそやなア。ほな、一つ佐川さんにお願いしまひょかな」
「そうでやすか。じゃ、上へ行って打ち合わせましょう」
 赤井とミネ子が四階の演芸部の部屋へ上って行くのと同時に、杉山節子が第一スタジオから出て来た。
「やア」
「あらッ」
「トランク持って来ました」
「まア」
 節子は思わず白崎の手を握った。甘い歌を歌ったあとなので、そんな動作が自然に出たのだろうか。たしかに仕事のあとで昂奮していた。節子は生々と頬を染めながら、
「このトランクには、音楽会に要るイブニングや楽譜がはいってましたの。これから、音楽会へも出られますわ。ほんとうに、ありがとうございました。ほんとにお世話ばかし掛けて……」
「いやア。お礼いわれるほどの……。第一、僕が京都駅でうっかりしてたのが悪かったのですよ。しかし、もし僕にお礼して下さるのなら、これからあなたの音楽会の切符を送って下さいませんか。僕はそそっかしいので、あなたの音楽会の広告が出ていても、うっかり見逃しそうですから……」
「はあ。でも、歌はおきらいなのでしょう?」
 微笑していた。
「いや、あれは取消しです。速記録から除いて貰いましょう。本員の失言でした」
「まア」
「あはは……。僕いま、親父の出している変てこな雑誌の編集を手伝っていて、実は音楽どころじゃないんです」と、白崎はまたまずいことを言いだしたが、しかし、あわてて、
「――でも、切符送って下されば、どんなに忙しくても聴きに行きますよ」
 どうやら、あなたのせいで歌が好きになりましたと、やっと甘い言葉が言えて、ほっとしたが、全身汗だらけだった。
 それから、二週間のちの夜、赤井の新作落語が放送された。
 第五スタジオの控室で、放送開始時間を待っていると、給仕が、
「赤団治さんに御面会です。お宅の奥さんが受付へ来ておられます」と、知らせに来た。
「えっ、女房が……? 新聞を見て来よったんやろか。すぐ行きます。おおけに……」
 飛び上って出て行こうとすると、佐川が、
「赤団治さん、そろそろ放送時間です」
 と、停めた。
 赤井はやがて、傍にいた白崎が、
「何々しようとした途端に、際どい所で故障がはいるのは、俺だけじゃなかったな」
 と言う言葉を背中に聴きながら、放送室へはいって行った。



底本:「定本織田作之助全集 第五巻」文泉堂出版
   1976(昭和51)年4月25日発行
   1995(平成7)年3月20日第3版発行
初出:「キング 三月号」
   1946(昭和21)年3月
入力:桃沢まり
校正:小林繁雄
2007年4月13日作成
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