である地蔵祭が好きであった。私の生まれた上町辺が地蔵さんの非常に多い土地であったせいもあるだろうが、とにかく一町内、一路地、一長屋毎に一つの地蔵さんを持っていて、それを敬い、それを愛し、ささやかな信仰の対象物として大切に守りつづけ、そして一年一回、七月二十四日にそれぞれの地蔵さんを中心に一町内、一路地、一長屋の祭典を行ったということは、どれだけ大阪の庶民の生活をうるおいあるものとしたか計り知れないくらいである。ところが、敵機は無残にもこれらの愛すべき地蔵さんを破壊しようとした。
しかし、私はたとえば火除地蔵というものを知っている。つねに火を避けて来た地蔵さんであるが、この地蔵さんは果して焼夷弾の火を避けることができたかどうか、それを私は知りたいと思い、あちこち尋ねまわっているうちに、最近ゆくりなくも火除地蔵健在の事実を知った。
それは天王寺区○○町の田村克巳さんの邸宅のお庭にある地蔵さんで「阿砂龍石地蔵尊」といい、田村さんの仏壇の抽出に秘められている一巻の古い軸には、この地蔵さんが模写されていて、「宝亀五年三月二十四日聖徳太子御直作」と肩書があり、裾書に「鈴木町」とある。鈴木町とい
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